大河原愛子著 「食品業界の撫子 (なでしこ) 」 (日本食糧新聞社 1800円+税)
私は、大きな仕事を成遂した人物の伝記ものが大好き。
今まで300人近い伝記ものを読んでいる。 その中には、日経の朝刊の最終面に掲載されている 「私の履歴書」 も入っている。
この履歴書は、最近では1人で1ヶ月間継続されている。 始まったのが1956年からで、今まで約745人の履歴書が掲載されているが、政治家や小説家などの文化人、スポーツマンと幅が広い。
その中で、かなりのウェイトを占めているのが企業経営者。
しかし、私が知りたかった人の履歴書が掲載されていたのは、故潮田健次郎トステム社長と豊田章一郎トヨタ会長。 この2人はその人となりを知っているだけに面白かったが、肝心な点をわざと述べていない点が物足りなかった。 やはり、筆力のある人に伝記として書かせるべき。
住宅関係では、今まで積水ハウスやダイワハウスが掲載されているが、私か一番読みたかった岡田前三井ホーム副社長や、故澤田前住宅局長、故杉山東大教授、故片方北洲社長などだが、ごっそり抜けている。 この人達が日本の住宅のイノベーションを支えたのに、なんともはや残念至極なこと。 大げさに言えば国家的な損失。
さて、日経の履歴書の745人の中で、女性は30人と4%を占めているだけ。
しかも、ほとんどが作家や芸能関係者ばかりで、唯一の変わり種は米沢慶大名誉会長だけ。 企業経営者は未だに一人も登壇していない。
女性を主人公としたものは、多くの芥川賞がそうであるように、自意識過剰な 「私」 を取上げた物が多く、読む気も起きないものばかり。 その中で、大下英治著 「小池百合子の華麗な挑戦」 は一番面白かった。 それと、女性が書いた著作では、幸田真音著 「天佑なり 高橋是清・百年前の日本の国債」 が、燦然と輝いている。
そんな次第で、私はフラストレーション気味だった。
そんな時、図書館で偶然にもこの著書を見つけた。 2年以上も前に刊行されたもので、食糧新聞社という余り聞いたことのない会社が版元。 食品業界で成功している19人の経営者にスポットを当てたもの。
正直な話、私はこの著書に何一つ期待をしていなかった。 食品業界で大活躍している女性がいるなどとは聞いたことがなかった。 半分以上はマユツバで読み始めた。
取上げられている19人とは、大企業で活躍している女性が7人。 外資系が1人。 中小企業を引継いだのが6人。 残りの5人は自らの起業を果たしたモサ。
本来は起業家の方が面白いはずだが、著者のセンスと筆致のせいか、大企業に勤めている人の話の方が面白い。 19人のうち16人の女性経営者に引込まれてしまった。
たしかに、女性は日常的に食品と向き合っている。 自分の偏向した考えに拘らなかったら、男性社員よりも具体的で、発想力が地道で豊富。 観念的な男性に、敗けるわけがない。
一人平均16〜18ページという短い自叙伝。 それなのに85%近い女性の生き方に感動を覚えたのだから、その発想の具体性に打たれたということ。
しかし、16人を紹介するには枚数が足りない。 そこで、とくに私が感動を覚えた8人に絞り、そのエキスだけを紹介したい。
池田章子ブルドックソース社長 実践女子短大を卒業した時、身の振りを両親に相談した。
そしたら、「半年程度働いて、実家へ帰ってきなさい」 と言われた。 正直に 「半年程度働かせてください」 と言ったら、案の定 お茶くみの雑用係として採用。 しかし、会社勤めが面白くなりそのまま居付いた。 転機は入社10年目の社長交代劇。 人材育成と福利厚生の充実が叫ばれて、新設された厚生課へ異動。 社内報の仕事を全面的に任され、それを見事にこなしたら厚生課長に。 社員研修などを通じて経営戦略やリーダーシップを学んでいったら、2000年に社長に抜擢。 そして、イカリソースとの合併に成功しただけではなく、外資系の敵対的な買収劇をも無事に切り抜けて、売上1000億円の企業を安定的に発展させている。
上場企業で、短大卒のお茶くみ雑用係が、社長にまで登りつめたと言うセクサス・ストーリーが現実にあるのですね。 ぜひとも、池田さんの詳細な伝記を読みたくなります。
吉田美恵子日清製粉常勤顧問 日本女子大食物学科を卒業した吉田さんは、食物に対して強い関心があったので、技術系総合職として迷わず日清食品を選んだ。 だが、念願の商品開発部へ異動出来るまでには13年間もかかった。 日清製粉だから小麦を主体にした商品開発だけでなく、パスターソースやシロップに至るまで、幅広い商品の開発改良で売上に貢献。
32歳で長女を出産したが、幸いだったのは自宅の近くにサポート体制が完備した保育園があったこと。 このため、出張の多い仕事一筋の生活が継続出来た。
そして、技術スペシャリストからマネージメント職に変わり、日清グループの品質保証をする部に異動し、2012年に現職に選ばれている。
柳好美モスフード取締役営業部長 実家は江戸川区の大衆食堂。 父母と姉と4人で店を切り盛りしていた。 小学生の好美さんは、看板娘として建築現場員やタクシーの運転手などから可愛がられた。 しかし、東京農工大の農学部卒でも、どの社も相手にしてくれなかった。
しかし、モスフードは違っていた。 創業者と一緒に歩いてきた人事部長が、1時間もかけてモスフードの将来を語ってくれた。 即入社。 入社後インストラクターとして活躍、35歳の時に妊娠したが、営業推進部次長で長く休むことは出来ない。 そこで一軒家を買い、主人の両親に同居してもらって育児を成功させている。 朝4時半に起き、家族の朝飯と2人の息子と自分の弁当をつくり、6時には家を出る。 しかし、会社へ行くのは週に1〜2日。 後は地方への出張。
このハードな役職を任命されたのが2010年。 将来はさらにステップ・アップも‥‥。
中島伸子井村屋製菓常務取締役 豊岡短大の学生の帰省の時、死者30人、負傷者714人と言う列車によるトンネル火災事故に遭い、医者から 「声を出す仕事はポリープが出来、ガンになる可能性が大」 と言われ、教師になるのを諦めて、調理師や簿記の免許とをとった。
短大を卒業すると、縁あってすぐ結婚して主人の田舎の福井へ引越した。 そして、自宅近くの井村屋で経理事務のアルバイトを始めた。 展示会のレシピを用意し、主婦に喜ばれるにはこのようにしたらよいと提案。 それが認められて正社員に。 そして、「営業をやってみないか」 と誘われて成果をあげ、北陸支店長から関東支店長に。
中島さんには2人の男の子と1人の女の子がいる。 主人の母に同居してもらって、子育ての難問は解決。2011年からは常務兼上席執行役員兼内部統制室長と、多忙な日々。
山口積恵セブンイレブン記念財団常務理事 英語が得意な山口さん。 商社の主人と結婚して台湾に渡ったが、結婚生活がうまく行かずに離婚して帰国。 その時、「英語が出来る人を募集中」 というイトーヨーカ堂の広告を見つけて応募。 鈴木敏文氏が直接面接し、「これから新しい会社を設立します。 ゼロから始めるのだから、軌道に乗るまでには最低3年かかるだろう。その間、辞められたり、早退されたのでは困る」 と言われ、文句なしに同調して採用。
ともかく、セブン・イレブンが発足する1年前から携わり、社長秘書として、毎週開かれる支店長会議や、毎年開かれるオーナー会議をコーデネイトし、社内報の編集にもタッチしてきたのでセブン・イレブンのことは隅から隅まで知り尽くしていた。 トップの近くに居れることはラッキーだと考えていたら、鈴木氏に呼ばれ、「今度オペレーションサポートセンターを作るから、貴女はその部長になりなさい」 と言われたのが1993年。 そして、2010年に現職へ。
抱井麻里チヨダ社長 東京国際大商学科を卒業した抱井さんは、12年間いろんな会社を経験した上で、34歳とき 「社内のコンピューターを新しくするので、ちょっとみてくれないか」 と父親に頼まれ、家業のからしメーカー・チヨダに入社した。 入社して簿記を習い経理を改善するとともに、購買部を見直してコストダウンを実行して行った。 また、女性だけの営業部隊を編成し、飛び込みをはじめとしていろんなチャレンジも行っている。
父が1991年に急死して、母や義兄が跡を継いだが上手く行かず、2003年に5代目社長に就任して「おでんの素」の事業を閉鎖するとともに、コンサルタントを招いて工場の合理化に取組み、更なるコストダウンと品質管理を飛躍的に向上させている。
同時に食品業界の女性経営者に呼びかけ、情報交換と共有化のネットワークづくりにも注力。
石渡美奈ホッピービバレッジ社長 お嬢さんとして甘やかされて育った石渡さん。7年間いろんな会社で修行。 父の跡を継ぐつもりで父に話したら猛反対。 父は同族会社としての混乱を危惧したかららしい。 ともかく、入社して青年会議所の仕事に熱中。
その一方、知名度の高いホッピーのブランド力をさらに高めるにはどうしたら良いかを研究。
中学時代の同級生で、東芝に勤めている友達に相談したら、「これからはインターネットの時代」 と言われた。 サイトを立ち上げても日々更新しないと誰も見に来てくれない。「ホッピーミーナあととり修行日記」 という形にしたら、とアドバイスをしてくれた。 そこでホームページ制作の勉強をして1999年にホームページを立ち上げたら一般の反応も良く、マスコミで大きな話題に。 これを契機に、父親に話をして、「攻めの経営」 に方向転換。
そして、2010年に社長に就任。 社内研修に力をいれている昨今。
入江恵子鍵庄社長 入江さんは明石の漁師の家の子。 海苔養殖が盛んになったが、漁師が参加するのは原藻の生産から板状に加工するまで。 それから先の味付け海苔、焼き海苔を作るのは 「味付け屋」 という加工業者の仕事。 したがって漁師が、「地元に味付け屋がいてくれたら‥‥」と嘆くことになる。
その声を聞いていた入江さんは1977年に味付け海苔屋を開業した。 最初は一枚々々味を吟味して、焼き加減を調節。 そのうちに 「これは特別においしい」 という海苔に出会った。
最初に収穫される海苔の新芽、つまり一番摘みと呼ばれるもの。 この一番摘みの海苔に特化したことが、鍵庄の成功のもと。 そのおいしさは口コミと贈答用でたちまち広がり、通信販売でも確実にその需要を増やしている。 噂を聞いたバイヤーから卸売りも始まっている。
そして、凄いのは海苔をパウダーにして、離乳食にもしていること。 ホーレンソウの10倍もの
鉄分やミネラルやビタミンではホーレンソウの3倍。 カルシュウムは牛乳の6倍と言われる栄養素が、パウダーで得られるのだから大変な発明品。 それだけではなく、ポルフィランという成分も発見。 いや、大変なブームを呼び込みそうだ。

