2014年07月25日

資源に対する意表な視点。火山国・日本の海は資源大国 !?


横瀬久芳著 「ジパングの海‥‥資源大国ニッポンへの道」 (講談社α新書 880円+税)

ジパングの海.JPG

こんなにもエキサイテングな著書が、あったのですね!
この著に前後して、今年の3月31日まで産経新聞に連載されていた楡周平氏の小説 「ミッション建国」 を読み、唸らさせられた。 選挙とか汚職とか、政治家の側面を捉えた小説はいくつか読んだ。 しかし、政治そのものを真正面から取上げた小説は今までになかった。 それは邪道なプロパガンダと見なされ、小説とは見なされてこなかった。 それなのに、敢えて政治を中心に据えた異色の中でも 極め付きの異色作品。 
少子化問題の解決策や尖閣諸島問題をまともに取上げている4章以降がとくに面白い。 だが、政治小説をこのブログ欄で取上げる勇気が、私にはない。 
したがって、斜に構えて資源物を取上げたけれども、これも学会と言う既得権の学閥に挑戦する核心的な政治問題なのかもしれないが‥‥。 
この 「ジパングの海」 も、4章以降が面白い。 桜島から南下して奄美大島にいたる薩南諸島のトカラ列島。 そこでの金鉱脈探しの実話苦心談が読ませる。 それを読み終えた上で、1〜3章までの全体的な背景を読むことをお薦めしたい。 

私どもが幼い頃から 耳にタコが出来るほど聞かされてきたのは、「日本は資源のない国。 だから石油をはじめあらゆる資源を諸外国から輸入し、加工して世界へ輸出しないと食べてゆけない国」 という言葉。
ところが中世ヨーロッパでは、700年前からマルコ・ポーロの 「東方見聞記」 で、日本のことを 「黄金の国・ジパング」 と呼んでいた。 
たしかに、江戸時代は金の小判で商売が決済されていたし、江戸時代の16世紀後半から17世紀初頭にかけては、日本の銀生産量は飛躍的に向上して年間の生産量は200トンにも及び、世界の銀生産量の1/3を賄っていた。
また、敗戦直後の盆踊りの花形は、「月がでたでた 月がでた‥‥」 の炭鉱節で、灯油が普及するまでは石炭産業の羽振りは大変なものであった。 鉱業は立派な産業だったし、主な財閥は鉱山で貯め込んだ資金を基に形成されてきている。
つまり、日本はオイルやガスは少なかったが、かつては石炭をはじめ金・銀・胴・鉄・亜鉛などの鉱物資源に恵まれた国であった。 しかし、高度成長期に需要の急増と低品位化によって、石灰石と鹿児島の菱刈金山以外はほとんど廃坑に追いやられてしまったが‥‥。

日本が、金や銀の産出国であったというのは、何も偶然のことではない。 
アメリカ人のアルフレード・ウェゲナーが、1915年に 「大陸と海洋の起源」 を発表した。 今では世界の常識になっている 「プレートテクトニスク論」。 
アフリカ大陸と南米大陸はジグゾーパズルのようにピッタリ一致する。 つまり、かつては大陸は1つの大陸だった。 それが、地球の表層部がマントルというプレートの動きに従って次第に分裂して移動してゆき、現在のような5大陸といくつかの島々に分解した。
マントルと言うのは岩で出来た硬い個体。 これが地殻の熱で温められて液体化して膨張して軽くなり上昇する。 その上昇力が少しずつマントルを周辺へ押しやっている。
この温められたマントルが上昇するエリアのことを 「海嶺」 という。
押されたマントルはやがて冷えて他のマントルの下へ潜る。 この潜るエリアのことを 「海溝」 という。 ご案内のとおり、日本にはユーラシアプレートが張り出していて、その下へ北アメリカプレート、太平洋プレート、フィリピン海プレートが潜り込もうとしている世界でも珍しい海溝地域。
硬い岩の下に硬い岩が潜るので、その摩擦熱で世界で452ある火山の75%はこの海溝地域に集中しており、地震の90%は環太平洋火山帯で起こっている。
そして、ドロドロに熔けたマグマが、地殻浅部で沈殿固化したのが浅熱水性鉱床。 だから、金山、銀山は海溝の火山地域に多い。

大航海時代に金銀を多産したのは南米のインカ帝国、マヤ文明、アステカ文明と日本。
南米の文明を崩壊させたのはスペイン。 1510年から1660年までに殺した人々は3300万人。 150年間に収奪された金は分かっているだけで181トン。 銀は1万7000トンにも及ぶ。
その後、1848〜1855年にかけて、サンフランシスコの郊外でゴールドラッシュが起こっており、
さらに50年後の1897〜98にかけてアラスカでゴールドラッシュが起こった。
さらに、パプアニューギニアのラドラム火山からは年間24キロ程度の金が回収出来る熱水が報告されており、ニュージランドのロトカワ地熱地帯では金が年間37〜109キロ、銀にいたっては5〜11トンも回収可能であると報告されている。
いずれも、環太平洋火山帯に属している。
つまり、海溝地域には 火山灰が降るとか地震が発生するという大きなデメリットはある。 だが、火山のおかげで日本は温泉に恵まれ、金や銀、銅、亜鉛、アンチモなどの鉱物資源にも恵まれていたということ。 マイナス面だけを捉えるのではなく、プラス面も合わせて捉えるべきだと筆者は説く。

世界には活火山と呼ばれるものが1500個あり、うち日本には110個あり、さらに九州〜沖縄地域にはそのうちの1/3に当たる32個がある。
日本の110個のうち、とくに噴火の頻度が激しい47個の火山に関しては24時間体制で観測・監視が行われている。そのうちの9個が九州にある。 さらにこのうちの8個はカルデレラ噴火と因果関係にある。
そして、南九州と地質環境がよく似ているニュージランド北島には、金鉱床がたくさん存在する。 つまり、トカラ列島の海底に金鉱床があることは、明々白々ど筆者は確信。 
金鉱山という宝探しのターゲットは、トカラ列島以外にはあり得ない!!
ということで、2007年から7年間に亘る宝探しの記録がこの著書。

ここで、筆者の略歴を紹介しておかねばならない。
1960年の新潟生まれというから、今年で54歳。 新潟大地質鉱物学を卒業し、岡山大で博士号を取ったという陸上火山学者で、無機化学分析をやっていた。 現在は熊本大の准教授。
しかし、1992年に外洋調査船に乗って以来、海洋底に関する研究の割合が次第に増加。 1990年代に海洋調査技術は長足の進歩を遂げ、学術的に深海底大航海時代が到来。
そんな時、3年間に亘ってハワイの海底を火山地質学的に研究するチャンスを得た。 有人潜水艦 「しんかい6500」 に6回も登乗する機会を得た。 ハワイ諸島やマリアナ諸島から得られた膨大な海底映像と地形データは圧巻。
そして、地球上の火山活動の3/4は海底で繰り広げられていることを知ったことと、欧米の海洋学の底の深さと凄い蓄積をみて、筆者は日本で初めて 「海洋火山学」 を創設している。
しかし、日本には東大や京大などの出身者で固めた海洋研究開発機構 (JAMSTEC) が存在している。 著者は何人かの知人のお世話になっているが、熊本という田舎大准教授などをまともに相手にしてくれない。
著者の言う宝探しというのは、「山師」 のやっていたこと。 今までは陸上を探しておれば、金山、銀山、銅山が発見出来た。 しかし、陸上の鉱山は掘りつくした。これからは 「海師」 の時代。 だが、海を調査するには調査船が不可欠。 独立行政法人・石油天然ガス鉱物資源機構 (JOGMEC) が採掘の対象にしているのは沖縄本島沖の 「伊是名海穴」 か、「伊豆〜小笠原弧べヨネズカルデラ」 という深海程度しかない。
民間にもさまざまな調査船はあるが、外洋域となると賃船料は数百万円/日にもなる。 とても年間何十万万円の予算しかない田舎大の研究費では賄えない。 
予算をたっぷり使える機構や独立行政法人が、海のものとも山のものとも分からないトカラ列島の調査に協力してくれるわけがない。 調査船がないと、丘に上がったカッパ。 身動きがとれなく茫然自失しているしかなかった。

ところが、まさかと思っていた科学研究費1000万円が獲得出来、東大の海洋研究船 「淡青丸」
を2007年3月と8月の2回に亘って使えることになった。 一方長崎大水産学部が所有する 「長崎丸」(842トン) を、9月の2日間と11月の5日間、7年間連続して借りられることになった。
そうなれば、必要になるのは海底に存在している石などの物質を剥がして持ってきてくれるローテクの金属製のバケツ・ドレッジの入手。 錆びないステンレス製だと小型のもので1台50万円。普通物だと150万円。 しかもこのドレッジは根がかりして失われる可能性が非常に高い。
予算のない調査に高価なステンレス製をロストしていたのでは、研究が続けられない。
そこで、錆びにくい全鉄製の口径40センチの円塔型を地元溶接業者に作ってもらい、たった15万円でチェーンバック・ドレッジを自作。
しかし、実際に使ってみると障害物に当たると折角かき集めた岩石を吐き出してしまうという致命的な欠陥が見つかった。
このため、改良に改良を重ね、最初の年にには2つの自作ドレッジを長崎丸に積んで出港したが、1つが損失してしまった。
その後口径60センチの物など2つを自作したが、以降は1つも損傷していない。
その間、サンプルとして採取した岩石は5000個以上で、岩石的分析に回したものは約300個。
しんかい6500だと、岩石1個を拾う費用が50万円もの費用がかかるのに対して、自作したドレッジによる費用は、1個5000円と1/100になっている。

そして、金山発見とまでは行かなかったが、輝かしい成果を上げ、NHKスペシャルで海底模様の映像と貴重な鉱石採取の映像が 全国に放送された。
その細部は、こ著を読んで頂くしかない。



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2014年07月05日

右翼論者の「国家とエネルギーと戦争」と原発擁護論


渡辺昇一著 「国家とエネルギーと戦争」 (詳伝社新書 760円+税)

詳伝社新書本.JPG

今年84歳になった渡部昇一氏の著書は、どんなことがあっても私のブログ欄で紹介するなどということは、絶対にあり得ないと考えていた。 
氏の右翼的な思考は、雑誌などでよく拝見していた。 敵を知らずして、如何にこちらに言い分が正しくても 世の中に通用するわけがない。 つまり、反面教師として、著者の意見を拝聴し続けてきたわけ。
ところが、今回の著作は中国や韓国を批判している訳ではなく、客観的に太平洋戦争における日本の敗因を指摘し、戦後に資源のない日本が何故大発展できたのかを論じている。 その中には私どもが忘れている重大な指摘が多い。 このため問題点があるのを承知の上で、あえて取上げることにした。

司馬遼太郎氏の 「坂の上の雲」 で、ロシヤ艦体を撃滅させて全国的にその名が知られるようになった秋山真之。 
1904〜5年の日ロ戦争は、石炭をいかに活用するかの時代だった。 
大国・ロシヤを破ったのは、石炭エネルギーという近代技術をマスターした東洋の小国日本が、陸と海でロシヤを叩きのめした事件。
ところが、それから10年後の1914〜18年にヨーロッパを主戦場として行われた第一次世界大戦。
この時は、もはや石炭の時代ではなく、「石油と機械」 の時代になっていた。
当時は、国際社会では 「観戦武官」 という制度があり、日本の陸、海、空の武官はヨーロッパの戦争を観戦に行った。 その武官たちは、いずれも強烈なショックを受けて帰国。
心の底では、「日本はもはや大きな戦争は出来ない。 列強の大国と戦えば、必ず負けるであろうと感じたはず」 と著者は断言。
心ある軍人は本音ではそう感じても、口には出せなかった。 唯一の例外が秋山真之。
彼は、2度も観戦に出かけるチャンスがあったので、「これからの戦争は、機械の優劣で決まる。その機械を動かすのが石油。 それと、女性でも武器が作れる産業構造の時代だ」 と明言。 
しかし、秋山は機械に重点を置いた発言を繰り返して、「機械力が戦力の70%を占め、人力が占める比率は30%を割っている」 と力説。 石油のことはそれれほど触れていない。

陸軍では、かつて花形だった騎兵隊の役目が完全に終わつた。
海軍では、戦艦も石炭から重油に切替わりつゝあった。 その先陣を切ったのが1911年のチャーチルのイギリス。 インドシナの重油をイギリス本国まで運べる体制を作ることによって可能になった。 日本が全軍艦を重油に切り替えたのは、イギリスより20年近く遅れた1930年。
そして、飛行機がフランスを中心にものすごい勢いで発達し、ますます石油力がモノを言うようになりつゝあった。
秋山も 「これからの戦争は、石油がモノを言う時代」 とは分かってはいたが、口でいくら石油と叫んでも、当時は何にもできない。 石油掘削の技術で一番すぐれていたのはアメリカ。 そのアメリカに頼んで、満州や樺太での石油開発をやれば良かったのに、そういった発想が出来る人間が一人も居なかった。 とくに陸軍はアメリカには何一つツテを持っていない。
そして、スターリンは日本が支那事変で体力が消耗することを願っていたし、近衛文麿首相の周辺にいた左翼思想家たちが、支那事件をやめさせまい、やめさせまいと画策していたと筆者は書いている。
そして、支那事件が起こって2年目に、日本の誤爆で軍事施設以外に爆弾が投下され、アメリカは「道義的輸出禁止令」 で日本へ石油を売らなくなった。 当時の日本は92%を輸入石油に依存していた。 そのうちの81%がアメリカからの輸入。 それがダメになったので、スマトラ、ボルネオ、南ベトナムまで南進すべく戦争の輪を広げるしかなかった。 その南進がアメリカを硬化させた。 日本は、石油さえ売って貰えば戦争する気など1つもなかった。 
そして、筆者のタラレバ論だが、もし二・二六事件で高橋是清が陸軍の手によって暗殺されていなかったら、太平洋戦争は避けられたかもしれないと書いている。 このタラレバ論はなかなか説得力を持っている。

そして、1941年12月8日の真珠湾攻撃で、太平洋戦争に突入。
連合艦隊の山本五十六長官は、アメリカとの戦争はすべきではないと主張していた派。 その五十六が日本の襲撃部隊の指揮官に南雲忠一という根っからの軍人を選んだのが大失敗の基。 南雲は軍艦だけを攻撃した。 アメリカの石油タンク、海軍工廠、輸送船の被害はゼロ。
アメリカの太平洋艦隊司令官・ミニッツ氏は、「あの時、重油タンクがやられていたなら、半年間はアメリカの軍艦は動けなかった」 と回想している。 
また、ハーマン・ウォーク氏は、「もしミッドウェイでアメリカの空母がやられていたら、アメリカの全陸軍は西海岸に集まり日本軍に備えねばならなかった。 ヨーロッパ支援は出来なかった。 もし空母と石油タンクがやられていたら、日米戦争はドローンゲームになっていた」 と書いている。 
ともかく、戦略なきサムライに、日本の運命を任せたのが大間違い。

そして、戦後アメリカは石油を絶って日本を近代国家から脱落させるという意思で、憲法を押し付けてきた。 アメリカは日本を数十年に亘って支配するつもりで日本国憲法を立案した。
ところが1948年にベルリン封鎖が起こり東西の冷戦が始まった。 そのため、日本を近代国家から脱落させるという政策は 180度の転換を余儀なくされた。
そして、それまでは 産油国はアメリカ、インドネシア、ロシアなどに限定されていたのに、中近東で次から次へと油田が発掘された。
戦時中は、「石油の1滴は、血の1滴」 とまで言っていたものが、水よりも安い価格でジャブジャブ手に入るようになってきた。 しかも、戦時中にほとんどの工場は爆撃を受けて閉鎖を余儀なくされていた。 埋立地に新規に工場を作り 安いコストで原料が入手出来、製品を輸出できるようになった。 大型の油槽船で大量に安い石油が運べたという僥倖が重なって日本経済は空前の大発展。
二度に亘る石油ショックも、日本は持ち前の省資源という技術力で克服した。
日本とともに資源のない大国・中国。 日本は石油がタブついていた時に経済再建が出来たのに対し、今の中国はそれこそ資源外交という名目で、世界を荒らし回っている。
中国は、いま原発の開発と売り込みに躍起になっている。 もし、安ものの中国原発が事故を起こせば、被害を受けるのは風下の日本。

さて、ここから著者は原発擁護論が連発される。
それは まず、「広島や長崎の原爆の被害者の多くの人が、放射能を浴び、白血病になったと考えているのは間違っていますよ」 との指摘。 
あの時死んだ人のほとんどが熱線によるもの。 言ってみれば焼き死。 あるいは爆風による家の破壊によって悲惨な死を。
長崎は75年間住めないと言われていたが、3週間目にはアリが出てきて、3ヶ月も経ったらミミズが湧いてきた。 著者の知り合いに長崎と広島の被爆者がいるが、2人とも とても元気。 
確かに放射能による白血病で死んだ人もいる。 だが、全体の被害者から見たら 統計にも載らないほどの数にすぎない。
第5福竜丸久保山さんは、水爆による禁止地域で魚を獲っていて放射能を浴びたのが死因と言われているが、死因は売血の輸血による急性肝炎。
チェルノブィリでは、火事だと思って飛び込んだ消防士と爆発を抑えるために無茶苦茶に働かされたリトアニア人の何十人かは死んでいる。 しかし、20数年間で甲状腺ガンに罹ったのは60人で、その中で死んだ人は15人にすぎない。 内陸で海藻を食べる習慣がないので、甲状腺の病気は風土病。 それほど大騒ぎするほどのことではない、と筆者は言う。
そして、福島。 たしかに故郷を追われて慣れない生活のために亡くなった高齢者はいるが、放射能が原因で死んだ人が1人もいない?
それよりも、原発が稼働しないために毎日100億円もの余分なカネを日本は払っている。
毎日ですぞ!
さらに言うならば、太陽の光と熱そのものが、原発とモンジュの原理で働いている。
確かに太陽熱を浴び過ぎると、日焼けしたりシミが増えたりする。 しかし、ビタミンDを補強するためにも必ず陽に当りなさいと医者は言う。 本当に放射能が怖いのなら、太陽を避けて生活すべきではないか‥‥というのが筆者のロジック。

私は、筆者のロジックには一理があると思う。
私が懸念しているのは、原発の安全性。 
あの程度の地震と津波でやられる原発だと、とてもじゃないが安心できない。 つまり、日本の地震学者と原発関係者の無責任さに呆れる。
鉄筋コンクリート造は、思ったほどの耐震性を持っていない。 震度7で2500ガルの直下型地震に遭遇しても安全であることを保証しない限り、消費者の不安は解消されない。
それと、地震国日本には、今後20万年間に亘って使用済核燃料を、安全に保存しておける場所がない。 北方領土問題よりも、ロシアの無地震地域で、ロシアと共同で使用済核燃料を保管できる場所を建設することが、より大切ではなかろうか‥‥。
その上での原発容認であれば、私は反対する理由はないと考える。 皆さんは如何?



posted by uno2013 at 05:30| Comment(2) | 書評(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

ノルウェー等の漁業が復活しているのに、日本だけが1/3に激減



小松正之著 「日本の海から魚が消える日」 (マガジンランド 1463円+税)

日本の海から魚.JPG

4年前に、イギリスで製作されたドキュメンタリー 「海から魚が消える日」 が放映された。 そして、同年秋と翌2011年夏に再放送された。 
内容は、「養殖漁業が盛んになってきているが、エサになるイワシ5kgから獲れる養殖サケはたった1kgでしかない。 つまり庶民の5人分の魚が、たった1人分の高級魚になってきているのが実態。 また、20世紀後半の50年間で、マグロ、タラ、ヒラメなどの大型捕食魚は1/10に激減した。 このままでは世界の海から魚が消えてしまう」 という強い危機意識で製作されたものだった。
小松氏の新しい著書に接した時、「題名も内容も、4年前の二番煎じゃないか!」 と思ってしまった。 つまり、読みたいという意欲がものすごく低かった。
筆者はエール大・経営学卒の経営学修士であり、東大の農学博士でもある。 そして、水産庁の漁場資源課長として国際的に活躍し、各国の漁村の実態にも明るい。 
その一方で、日本全国の漁村を訪ねている。 そこには、将来に対する希望が持てない漁業者が、若い世代に跡を継がせる意慾が薄れている現実に遭遇し、危機感を覚えている。 それを解決するには、具体的に日本のシステムをどのように変えるべきかを明言。
そのポイントだけを紹介するから、騙されたと思って読んで頂きたい。

ご存じのとおり、今から37年前の1977年に200海里の排他的経済水域が設定され、日本の漁船は世界の200海里から締め出された。 日本の遠洋漁業は壊滅的な打撃を受けた。 そして、ピークの1982年には1,282万トンの水揚げを記録したが、2012年には486万トンへ。 つまり30年間で1/3に激減してしまったのである。
日本の水産地は、どこも疲弊している。 とくに島々では、嘆き節しか聞くことができない。
「地元の水産業が衰退し、子供や若い人は都会に出て行った。 学校・病院・役場・農漁協が統合され、島からすべてが消えてしまった。 漁獲高は1/5で、もはや生きる望みはない」 と。
ところが、ノルウェー、アイスランド、オーストラリア、ニュージランド、アメリカのアリューシャン列島の島々を巡ってみると、どこも水産業は一頃の乱獲から脱却して、生産性が上がり、収入も増えて、水産業は若者の人気が高い職業になっている。 つまり、繁栄を極めている。
彼吾の この大きな格差に著者は立ちすくんでしまった。
と同時に、改革の意欲をたぎらせてきている。

日本の政府は、何もしなかった訳ではない。 200海里の排他的水域が設定された1977年に、「水産加工施設法」 を成立させている。 つまり、日本の広い200海里内で獲れるイワシやサバを原料に、養殖漁業を確立しようと考えて立法した。 
いいですか、農業と同じように、日本の水産業にはドッサリと補助金が注ぎ込まれたのです。 ところが、農業と同じように、水産業は自立することが出来なかった。 期待された養殖業は、2000年頃には134万トンの生産高があったものが、2012年には104万トンへと30%も減ってきている。 先進国の中で、養殖業の生産高が減っているのは、日本以外にはどこを探しても見当たらないと筆者は言う。 
この根本原因は、水産業に対する新規参入が抑えられている 「漁業権」 そのものにあるというのが筆者の見立て。
漁業には、海で行う《海面漁業》と河川や湖沼で行う《内水面漁業》に分けられる。
そして、《海面漁業》は、小さな船で可能な《沿海漁業》と、中型船が前提の《沖合漁業》と、大型船での《遠洋漁業》に分けられる。 
日本の漁業に関する基本法は、今から65年前に制定された、沿海漁業を中心とした漁業法。
この法律の目的は、「経営の自立」 でもなければ、「消費者に対する安定した魚の提供」 でもない。 法律の根幹的な目的は、「漁業の民主化」。

戦前の《網元》と言われる一部の人間が漁業権を独占していたことを考えると、農地解放と一緒で、沿海漁業の漁業権が漁業協組に与えられた意義を否定する考えは毛頭ない。 しかし、65年も経ると、日本の水産資源を自分達のものだと勘違いして、経営の自立化を考えず、単に利権の巣窟になっている漁業協組そのものにメスを入れねばならない。
現在、漁業協組の数は約980にも及ぶという。
2008年の収支を見ると、約70パーセントは本業が赤字。 
農協と一緒で、マリンバンクやガソリンスタンド、直売所の利益で赤字を埋め合わせているという。 そのなかでも不透明なのが配当金とか政府の補助金。 この調査は、身内の監査機関ではなく、第三者の公認会計士にやらせるべきだと筆者は福田内閣、麻生内閣、菅内閣の時に主張したが、いずれも農林水産省の反対で閣議決定が出来なかったという。
ともかく、船が無いのに漁港を建設したりという予算のムダが やたらに多い。
知られているように、宮城県は知事の強い意向もあって、民間資本を導入する漁業権の復興特区制度を提案した。 これに対して、水産資源を我が物にしておきたいと考える漁業協組が猛反対して、復興事業を大きく遅らせた。 
筆者は、水産特区利用で活気づいている石巻市桃浦地区の《かき養殖》の成功例を挙げているが、既得権に依存する漁業協組は、農協同様に解体の対象にすべきなのだろう。

それよりも、筆者が強調しているのは、ヨーロッパやアメリカにおける経済学者の活用。
つまり、漁獲量を決定するには、身内の意見だけではダメ。 厳正中立の立場で、正しい判断を下してくれる経済学者などの知識と経験に学ばねばならない。
科学的な漁業の先進国と呼ばれるノルウェー、オランダ、デンマーク、アイスランドの各国。
そして、この30年間でメキメキと力をつけて漁業先進国の仲間入りを果たしたアメリカ、オーストラリア、ニュージランド。 各国とも水産資源崩壊の危機を乗り越えて、漁獲量を回復させる改革を実行してきている。
そのポイントは、各船に対する漁獲高の個別割当制度 (Individual Quota) と、割り当てられれた漁獲枠を譲渡出来る制度 (Individual Transferable Quata) にあるという。
日本だけが、この個別割当制度を採用していない。 日本が採用しているのは総量規制で、早い者勝ち制度 (Total Allowable Catch)。
この日本の制度には以下の4大欠点が指摘されている。
@この総量規制は、科学的な根拠に基づいて決められるが、ヨーイ・ドン方式で、先に量を確保した者の勝となる。 このため、社会科学的な配慮より、より漁業者の声が優先されてしまう。
A早い者勝だから、試合終了の合図の前に偽って少な目に漁獲高を申請するので、往々にして乱獲を助長することになってしまう。
B早く多くの量を確保するには、大型漁船の方が有利。 したがって、ほとんど遊ばせておくことになるのだが、船への過剰設備投資が嵩み、これが漁業者の収益を著しく圧迫している。
C総量が決まっているため、需要に関係なく水揚げにのみ神経が集中。 したがって、同時期に大量の魚が出回ることになり、漁業者にとっては 「骨折り損の、くたびれ儲け」 となる。

いずれにしろ、日本では役人の数も限られており、実行のある取り締まりが実施されていない。
漁船が水揚げしても、水産庁の職員が立ち会って、計量することはない。 実際に何トン水揚げされたのか、誰一人として知っていない。
これが、日本の沿岸から魚が姿を消し、多くの中小水産業者が商売を辞めざるを得ない状況に追い込まれる原因。
つまり、欧米のように、漁船に対する割当てだったら、オリンピックのようにヨーイ・ドンと走り出す必要がない。
漁獲量が少ない時を待って、ゆっくり船を出せばよい。
そして、やたらに大型の船を買うよりも、若い漁業者に喜ばれるれるような施設が揃った船を選んだ方が、従業員の定着率も良くなる。
日本の海の水産資源が回復し、水産業も栄光を取り戻せる。 
生産者も消費者も、流通・加工業者もハッピーな漁獲高の個別割当制度。 この制度が、何故日本だけに普及せず、嘆き節だけが横溢しているのか。
この疑問に対して、著者は下記の3点を挙げている。

第1点は、個別船への割当制度を導入するには、各国の制度を綿密に研究せねばならず、日本へ導入するためには現場の問題点や実態を把握しなければならない。 つまり、反対意見を説得してゆかねばならず、行政官にとっては、「面倒くさい仕事」。
このため、不都合なデータを揃えて、行政官は自己正当化を図っている。
第2点は、補助金漬けの仕事に慣れきっていること。
漁業の場合は、例えば燃油費が上ったとか、外国水産物の輸入が増えて魚価が下ったとか、東日本大震災で経営難に陥った場合は、補助金が投入される。 理由がなんであれ、漁獲高が落ちれば膨大な補助金が投入される。 その安易さに慣れ、経営の抜本的改善策が先送りされてきた。
ノルウェーやニュージランドは、経営不振の補助金は一切廃止し、科学的根拠で個別船への割当制度を導入した。 その結果、漁業者は計画的、安定的に事業を行えるようになり、ヨーイ・ドン方式の他船に勝ことだけを考える習慣を捨て、水産資源も回復出来た。 このよき見本となる事例があるのに、日本は補助金ドップリで、沈没しょうとしている。
第3点は、政治家の情熱と勉強不足。 漁業協組から要求があると、反射的に予算を付ける行動に走る。 アメリカ、オーストラリア、ニュージランドの政治家は勉強して、改革を推進した。
この差は大きいと筆者は説く。

新潟県は、知事のリーダーシップで、とりあえず《ホッコクアカエビ》の漁業で、個別割当方式を採用し、成果を出してきている。 
この制度を消費者の強力な支援の基に、日本の全漁業に普遍化してゆくことこそがポイントだ、と説く筆者の説得力に、感銘するのは私だけではないはず。





posted by uno2013 at 08:28| Comment(1) | 書評(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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