根岸豊明著「誰も知らない東京スカイツリー」(ポプラ社 1400円+税)
東京スカイツリーの観光性とか耐震性については、すでに3冊の本を読んでいたから、すべて分かったつもりでいた。
ところが、57年前には332.6メートルと その高さを世界に誇った東京タワー (1958年建設) だが、最近では230メートルを超す超高層ビルか10ヶ所ちかくも増えていて、16号線周辺が東京タワーからの受信限界になっているという。
とくにひどいのは、デジタル放送用のアンテナ。 300メートルにも満たない高さなので、200メートルを超える超高層ビルの谷間に埋もれて、東京タワーから離れると受信環境は極端に悪くなっているという。 当然、ミニ中継局が必要に。 ところか、デジタル放送のワンセグでは収益力が悪く、ミニ中継局の設立は、宙に浮いたまま‥‥。
もちろん東京タワー (日本電波塔社) も手をこまねいていた訳ではない。 1998年に現東京タワーの隣地に、高さ707メートルの新・東京タワーを建設する計画を打ち出した。 ところが、国交省からヨコヤリが入った。
東京タワーが出来た頃には、それほど航空需要も多くはなかった。 このため、現・東京タワーの建設時にはサシ止めが見逃されていた。 しかし、東京タワーが建っている港区は、航空管制区域内。 そんなところへ707メートルという超高層構造物を建てることは、「絶対に許せない」 というのが、国交省の言い分。
つまり、現・東京タワーの5〜10メートル程度の嵩上げ程度だと 役所も認めてくれるかもしれない。 しかし、100〜300メートルという大幅な嵩上げ工事は、絶対に認めて貰えないと言うのが関係者全員の判断。 しかし、嵩上げ案を自ら否定する必要はない。 最悪の場合は それで対応しなければならないかもしれないからだ。
東京タワー (日本電波塔社) は、メインの株主はサンケイグループで、テレビ朝日、TBSも株主として名を連ねている。 そうしたメンバーを含めた在京6社が、「今までの東京タワーでは地上デジタル放送はムリ。 何が何でも新・東京タワーが必要だ」 というので、1999年に 「タワー検討プロジェクト」 を発足させている。
それが2003年には 「タワー推進プロジェクト」 に名前を変え、候補予定地は名乗りを上げるように呼びかけていた。
このプロジェクトに加わった在京6社とは、NHKテレビ、テレビ朝日、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ、テレビ東京の6社。
筆者はメディア戦略部長としてこのプロジェクトに初めて参加したのが 2004年6月というから、発足から5年近くの歳月が過ぎていた。
会議は新装なったテレビ朝日本社の役員室で行われた。 出席したのは、新タワー推進プロジェクトのリーダーであった斎田テレビ朝日専務のほか2人。 NHKテレビからは総合統括部長ほか2人。 日本テレビからは技術統括局次長と私。 TBSからはメディア推進部長ともう1人。 フジテレビからは経営企画部長と1人。 テレビ東京からはメディア開発局次長ともう1人の 計14人。
この日の主な議題は、すでに名乗りを上げている15の候補地の中から、最適地を如何にして絞って行くかと言うこと。 このため、6社から2人組の人選を行い、2社が1組になって15の候補地を分担して、事前の調査を終えていた。
日本テレビの例だと、「さいたま新都心」 を、テレビ東京と一緒に担当したし、「台東区」 はフジテレビと、そして 「新宿区」 はテレビ朝日と組んで調査を終えていた。
名のりを上げていた15とは、足立区は@舎人公園 A東六月 B入谷。 練馬区は@としまえん A光が丘公園 B練馬駅北口。 豊島区は@南池袋、Aサンシャイン60近くの造幣局を移転させ、跡地に新タワーを誘致するというもので、当時一番有力視されていた東池袋案。 新宿区は@新宿6丁目、A神宮外苑案。 台東区は@墨田公園と、A東武鉄道の押上案。 このほかに、さいたまの議会や議員が県や区と一緒になって誘致活動を続けていたさいたま新都心案、文京区の春日1丁目案と、港区芝公園の現・東京タワーの15案。
ただし、最初から基本ルールがあった。 それは、「テレビ局は候補地を募集するが、事業の運営主体は、誘致する側にお願いする」 というもの。 現在の東京タワーがそうなっているので、それを踏襲したまでのことだが、テレビ局が運営するとなると最小限の予算で、放送用アンテナだけに限られる。
折角、600メートルもの高い建物を建てるのだから、観光用と兼合わせて考えた方がよい。 しかし、テレビ局側にはそんな人材もいないし、ノウハウもない。 どこまでも 「店子」 に徹すると言うのがプロジェクトの最初からの約束ごと。
こうした調査の結果報告のほかに、当日のもう1つの主議題は、有識者委員会の設置。
推進プロジェクトですべてを決めるのではなく、各界の専門家に集まって頂き、その耐震を中心とした防災性や環境対策面など多彩な細部検討を行った頂き、最良の場所を選定して頂く。 それには各界の専門家からなる有識者委員会の設置が不可欠。
2004年8月には,タワー推進プロジェクトとして、有力な候補地として以下の3案と、補助として現東京タワーを存続して使うという4案に絞っていた。
新規に選定された3案というのは、「台東区・押上」、「さいたま新都心」、「豊島区のサンシャイン60脇」。 つまり、この時点で他の11候補は葬り去られた。
そして、10月には、中村東工大名誉教授を委員長とする有識者委員会が発足している。
メンバーは、建築からは陣内法大教授、後藤早大教授、デザインからは平井長岡造形大教授、環境からは神田東大教授と中野芝浦工大講師、地震からは古村東大助教授、電気・電子工学からは都竹名城大教授、観光からは安島立大教授の計8人が選ばれている。
この有識者委員会は12月に第1回が開かれた。 委員会は3回、小委員会は2回、幹事会は16回にも及んだ。 そして、各候補地の事業性も考慮して、2005年の2月には委員会の採決で候補地を1つに絞った。 台東区・押上案が9名中6人が賛成し、新さいたま案は3人が賛成した。 その他は0人という結果。
この結果に基づき、3月には選考理由と提言をまとめた報告書を提出。
新さいたま案は、県の全面的な応援と、議員や消費者の支援も多かった。
しかし、ほとんどの世帯のアンテナの向きを変えねばならない。 マンションや個人宅では、新しい投資が必要になってくるところもある。 それよりも懸念されたのは、横浜以南での受信障害の発生の怖れ。 したがって、テレビ6局側では、最初から困難視していた向きもあるようだ。
そして、トップに選ばれた東武鉄道とテレビ6局はのタワーの仕様、経営、安全性、電波障害対策で話合われたが、スムーズに話が進まなかった。
その1つの原因は、親局を新タワーへ移すと、現中継局との間で起るであろう電波混信。
これに対する目途が、6局側でも掴み切れておらず、調査待ちの段階だった。
また、テレビ6局側のリーダーが、斎田テレビ朝日専務から、飯島フジテレビ取締役に変わっていたことも若干影響した。
そして、テレビ6局側は、長期的な利用を前提にした賃貸条件を出していた。 (それが、どの程度の額であったかは、最後まで読んでも不明のまま。 したがって、一方的にテレビ側を応援することは出来ない‥‥)
問題になったのは、難視聴対策費。 これまでも東武鉄道に押し付けられたのでは、とてもじゃないが採算が取れない というのが東武鉄道の担当者の考え。 そして、東武鉄道の事業計画表では、一時期のブームが去れば、この事業は赤字になるとソロバンを弾いていた。
テレビ6局側からすれば、もっぱらテレビ局側からカネを引出すことばかりを考えて、売上を増進させるという前向きの姿勢が 東武鉄道の担当者には一貫して見られない。
相互の不信感か強まり、一触即発。 つまり、2006年1月の時点では、「交渉決裂か」 というところまで追い込まれていたらしい。
そこで、動いたのは東武鉄道の新タワー事業の責任者である鉢木専務。
飯島フジテレビ取締役、土屋NHK部長。木村TBS次長と腹を割って話し、2月に入って根津東武鉄道社長の再提案が出された。 この再提案で、話は前進を見せた。
このあと、新さいたま側への断りの説明をどのようにするか、新会社の設立と暗雲、スカイツリーの2013年の開業と予想を超える訪問客など、いろんな話が続く。
その反面で大問題が発生していた。
「ほとんどの家庭で、障害は絶対に発生しない」 と太鼓判が捺されていたはずなのに、多くの家庭で予想外の、「ブースター障害」 が起きてしまった。
これは、東京タワーからの弱い電波を受けていた世帯は、これでは良く映らないためにブースターを使って鮮度を高めていた。 そのブースターが、スカイツリーからの強い電波をさらに強くするので、オーバーフロー現象を起こしたのだ。
思わぬ 「ブースター障害」 に見舞われ、テンヤワンヤの仕儀と相なった。
この著書の副題は、「選定・交渉・開業・放送開始‥‥10年間の全記録」。
この著書が面白かったのは、月々の賃貸料金以外の全ての記録が提示されていること。
私は、個人的にツーバィフォー工法とR-2000住宅に関して、中心的に関わってきた。 そのおかげで、木質構造の素晴らしさと高気密・高断熱住宅の有難味が身にしみて分かった。
しかし、この著書のように、全てを記録してきたわけではない。
ジャーナリスト出身だから、出来るだけ事実に忠実であるように書いてきたつもり。 だがこの本を読んで、私は 「記録不足」 だったことに気がついた。
正しい記録さえあれば、後世の人々は勇気をもって新しいことにチャレンジ出来る。
私は、「まだまだ記録を残すことに本気度が足りない」 と、深く反省させられた。