2015年03月25日

コメを減産して野菜、ソバ、放牧へ転換という大胆提案 (下)



筆者は日経の経済部編集委員。
農協やTPP、あるいは6次産業、農家の新しい経営者像などについて、今までになかった視点から多面的に論じていて、非常に参考になる。 私が他の著書を読んで抱いていた間違いを、足で稼いだ取材を通じて 徹底的に破壊してくれている。 そういった意味で、この著は今年前半の面白本のトップにくるだけの価値がある。
この著書の内容を全部紹介しようと思えば最低6回になってしまう。 建築屋の私がそこまで農業問題に首を突っ込む必要はない。 そこで、皆さんにも関心を持ってもらえそうな 新しい動向5点の実話談だけを紹介することにします。


まず、千葉・柏市の利根川沿いに、長さが直線で3.5キロ、108haという誰もがうらやむ超特大の農地を持っている染谷氏の 「700〜800キロ/10アール」 へのコメ作り挑戦談から。
染谷氏が最初に農業に取組んだ時の農地面積は、たった1.5haだった。 そして、河川敷の小石だらけの荒地開発に挑戦して、なんとかこれを成功させた。 
そこへ飛び込んできたのが、河川敷ゴルフコースを開発すべく108haの土地を買い集めたゴルフ屋さんが所有している土地。 ところが柏市の認可が下りないことが判明。
土地が買い上げられてから、かなりの期間放置されていたので、土地は荒れ放題。
この土地を、5〜10haだったら開発しても良いという者は何人かはいたが、108haをまとめて買い上げると名乗りをあげたのは染谷氏だけ。 
開墾は2003年から始まった。 
4メートルも高いヨシをなぎ倒すと、金属片やタイヤなど山のようなゴミ。 そのゴミの山を見ただけでほとんどの人は逃げ出す。 しかし、染谷氏には勝算があった。
「前に取組んだ河川敷は、それこそ小石の山。 しかし、今度は元々農地だったところ。 失敗するわけがない」 と。
土地を平坦に均し、井戸を掘り、用水路を引き、発電機をつけ、全ての土地で作付が可能になったのは2012年。 丸々10年かかった勘定。 
その間の資金繰りは、全て染谷氏が個人的にやってのけた。
しかし、その時 「全農ショック」 が日本全国のコメ農家を襲った。
農協の上部組織である全国農業協組連合会は、毎年新米に対して産地ごとに支払う概算金を 前年より3割も減らした。 例えば、栃木産のコシヒカリ60キロの概算金は一気に3800円も引下げて8000円にした。 需給バランスの歪みを、一方的に農家に押し付けた暴挙。
この全農ショックを、染谷氏はどうやって凌いだのか?
ある大手コメ卸から、こんな打診が入ってきた。
「来年、60キロ当たり9000円で買取る。 50ha作って欲しい。 品種は何でも良い」 と。
10アール当たり500キロという普通の収量だったら、飲める条件ではない。 しかし、700〜800キロ近くとれるなら、10アール当たり12万円になる。 染谷氏は、大手外食チェーンに10アールで700キロの実績を持っていた。 そのバリエーションを増やすだけで、売り先を多様化出来る。
染谷氏は、一筆108haのほかにも委託をうけ、現在200haを管理している。 もちろんコメだけでなく、カルビーと契約栽培しているジャガイモや、カゴメのトマトなどもある。 そうした中でコメ作りでも契約栽培を増やして行こうとしている。


次は、茨城・竜ヶ崎市の横田農場の意表を突くコスト削減作戦と、地場企業・地場消費者を密着させた販売作戦談。
コメ作りが10haを越すと、途端に機械と人手が必要になってくる。
横田氏は2002年に就農した時は20haだったが、現在は100haに。 そして近い将来には400ha程度にまで耕作面積が増えると予想されている。
横田氏がコスト削減のポイントと考えているのは、「どうやったら田植機などの機械を遊ばせずに 稼働させることが出来るか‥‥」 にある。 兼業農家で一番問題になったのは、機械の使用効率の低さ。 「機械貧乏」 という言葉が流行ったほど、ほんの一時期しか使われない機械が、農家の倉庫に眠っていた。 
この難問に対する横田氏の答えは、寒い地方から暖かい地方までの各種のコメを導入し、田植えや収穫の時期をずらして機械をコンスタントに稼働させること。
栽培しているコメは、コシヒカリ、あきたこまち、ゆめひたちなど7種類にも及ぶ。
このため、田植えの時期は4月の下旬から6月の下旬までの2ヶ月間続く。
同じことで、収穫時期は8月下旬から10月下旬までの2ヶ月間。
幸いこの地方の田圃は整備されていて1〜2haの大型の区画が多い。 しかし、4隅は機械では処理出来ないので、人手で作業。 目的は 「トラクターの上から眺めていただけでは田圃の状態がよく分からないから、降りて作業をしなさい」 にあるのだが、これが 「預けた田圃を丁寧にあつかってくれている」 と好評を呼び、農地の集約化に貢献してくれている。
一方、横田農園では、離れた3つの小学校にも案内状を出し、「田圃の学校」 というイベントを定着させている。
この日は、「裸足で田圃へ入って良い日」 であり、「着ている物が汚れても良い日」。 このイベントには、毎回100人近い子と親が参加する。
そして、コメの売り先は地元のスーパー。 
子供が裸足になって喜んでいる写真をあしらった米袋が、スーパーの店先に並んでいる。 このコメの売価は、横田農場が決めてもよいことになっている。 したがって、消費者のことを考えて値段をつける。 その地元のコメを、消費者が積極的に選んでくれる。
これは、スーパーに限ったことではなく、地元のセンベイ屋も餅屋も、率先して地元産コメを選んでくれる。 地元産のコメで作ったセンベイや餅の売れ行きが良いからだ。
つまり、横田農場が地元の企業と消費者を結びつけるとともに、周辺の休耕田を引受けて地域を活性化するように頑張っている。


次は、岩手・花巻市の田圃の水の中をスタスタ歩ける盛川農場談。
「乾田直播」 という言葉を聞いたことかあるだろうか?
盛川農場では、2014年には75haを栽培しているが、主な作物は小麦39ha、コメ24ha、大豆9haなど。 このほかにジャガイモなども栽培しており、2013年からトウモロコシの栽培も始めた。
トウモロコシの栽培を始めたのは、年間を通じて作業量を平準化させるため。
ところが、トウモロコシの根が、土を深耕してくれることと、茎や葉が緑肥として土を肥やしてくれるので、思わぬ効果が出てきている。
いずれにしても、盛川農場の主力は畑作。
そして、コメは1/3ほど作っているが、コメ用の専用機は1つもない。 全て小麦や大豆の生産に使われている機械を コメの生産にも使っている。
乾田直播というのは、乾いた畑の土を機械で押し固めてジカに種を播く。 そして、土と種を密着させるために、もう一度機械で鎮圧する。
そして、稲の根が張り、背が一定に伸びたところで、初めて畑へ水を入れる。
2度も機械で土を固めた田圃だから、水の中をスタスタ歩けると言うわけ。
このように、苗の育成と田植という仕事がないため、コメ作りに要する労働時間は、東北平均の1/4で済んでいるという。 コストは30〜40%の減になっている。
このように、コメ作りはどこまでも脇役。 米価の推移などを見ながら、自由に作付面積を変更してゆくという。


次は、[農協・秋田おばこ」 のコメに変えて 園芸作物増産計画談。
秋田おばこ農協といえば、年間のコメの集荷量は8万トンを越え、全国に約700ある単位農協てもトップを誇る実績。 しかも、組合員の信頼も厚く、組合員が農協へ出荷する比率は98%にもおよぶガチガチの力を持つ農協。
それだけ強固な単位農協だから、育てた関連法人は約80にも及ぶ。 いずれも30haから300haの土地を持っている。 しかし、これだけ関連企業が多いと、そこに集約している従業員の数もバカには出来ない。
秋田と言うと、コメどころとして有名。 将来、そのコメがダメになったからと言って、従業員をクビにするようなことがあってはならない。 従業員もさることながら、何よりも組合員を守る義務が秋田おばこ農協と県当局にある。
2018年の減反廃止を睨んで、秋田県は2012年に新しい 「農業振興計画」 を策定した。
この計画は2012年を基準年として、2017までの5年間の目標を定めたもの。
まず県全体の農業産出額は、2012年の1877億円から2017年には1905億円に増やす。
しかし、この農業産出額に占めるコメの比率は64%から50%に落とす。 つまり、コメの産出額は約240億円も少なくなる。 これは主食のコメだけではなく、飼料米や加工米を含んだ数字。
コメが減った分を、何で埋め合わせするのか?
県が期待しているのは野菜や果樹、花卉などの園芸作物。 これを125億円から183億円へ58億円も増やす。 そのほか黒毛和牛も31億円から52億円に増やす計画。 しかし、一口に表現するならば、「コメの秋田から園芸作物の秋田へ大転換を図る!」 と言うこと。
この計画書を見せられただけでは納得できない。 「証拠を見せて欲しい」 と言ったら、連れてこられたのが 一面の水田地帯に建築中のトマトハウス。 6haの敷地に104棟のハウスが建てられる予定だが、完成してトマトが植えられているのは6棟だけ。
しかし、104棟が完成した暁には1億2000万円の売上があり、50人の雇用が生まれるはず。 すでにハンバーガーチェーンなど、4社の売り先が決まっている。
「園芸作物・秋田」 のモデルが稼働を始めている。
一方、秋田こまち農協は、神戸の大手コメ卸の神明と組んで2008年からコメの輸出にも取組んでいる。 初年度は43トンにすぎなかったのだが、2013年には450トンに達し、2014年には1200トンにも及ぶ見込み。
こまち農協は、2004年に床面積5000uにも及ぶ巨大な貯蔵施設が完成させた。 ここでは各生産者のコメを混ぜて小分けにするのてはなく、1トンの袋詰めにして物流を効率化している。
低温倉庫をパソコンを開くと、生産者の名前、地域、荷受日、重量、水分やたんぱく質の量、食味値などが一目で分かる。 つまり、輸出に値するコメかどうかが一目で分かり、農協批判として挙がっていた 「誰が作ったコメかが分からない」 とか、「自分の作ったコメが誰に売られているのか消費者の顔が見えない」 とか、[農協に出荷すると、生産意欲がわかない」 などと言う苦情は一掃され、輸出に値するコメづくりを奨励する形になってきている。


最後は、栃木・那珂川流域にある中山間地の瀬尾農場における放牧談。
瀬尾氏はもともと海上自衛官。 2002年に退職して農業を始めた。 最初はシイタケ栽培をしたが先行きに見込みがないので畜産に切り替えた。 子牛に耕作放棄地の雑草を食べさせていたら、役場や農協から「放棄地を再生して欲しい」という依頼がくるようになり、2014年の時点で 放牧地は3.6haとなった。
瀬尾のやり方は、まず放棄地の雑草を牛に食べさせる。 牛が荒れ地を綺麗にしてくれた跡に、ライ麦や牧草を植え、引き続き牛を放牧する。
ライ麦は、勝手に牛に食べさせてはいない。 1メートルに育ったライ麦畑は、電気の通った柵で囲まれている。 その柵の一辺をズラして、「これからストリップグレージング (制限採食) を始めるよ」 の声で、牛がライ麦にありつけるという仕掛け。
パワーショベルやブルドーザーがなくても放棄地は綺麗になる。 しかも排泄物が肥料になって地力の維持に役立つ。 良いことづく目のようだが、継続的に放牧が続けられるのか?  冬場、放牧出来ない牛に何を喰わせればよいのか?  また、各放牧地を見ていると、牛など家畜の移動に手間がかかり過ぎている。
農研機構・中央農総研の千田氏は、農林省が推奨する飼料米と、稲のホールクロップサイレージ (WCS) と、トウモロコシと、牧草の4種類の中で、コスト的に見てどれが牛のエサとして適しているかを調べている。 その結果、トウモロコシと牧草の組み合わせが、飼料米の半分のコストで十分だということが分かったという。
飼料米は、運搬費まで加算すると高価なものになってしまう。 そこへ提出された千田氏の貴重な資料。 何故農林省は、この貴重な資料を活用しょうとしないのか?  著者は大きな疑問を投げかけている。
放牧地が広ければ、牧草を刈り取って冬期に牛に食わせることもできる。 しかし、瀬尾氏のように3.6haだと、刈り取った田圃に牛を移し、稲刈後の株から伸びてくる茎や葉をエサにしている。 本当は事前に刈り取った稲を発酵させてWCSにしたものを、冬期のエサにして与えた方がベターなのだが‥‥。
また、瀬尾氏によると、開墾した後の農地に木を残しておいた。 夏の炎天下で、牛が休む場が絶対に必要だから‥‥。 ところが、「休耕田は中山間地の補助金を受けている。 木が1本も生えていないことが補助金の条件。 すぐ切るように!」 言われたという。 木を切らずに頑張っていたら、地主の一人から貸した土地は返して欲しい」 と言われた。
ともかく、役場や農協から頼まれて放棄地を借りて放牧をやっているのに、杓子定規なお役所仕事によって、営業が妨害されることが現実に起こっている。
こうした点を含めて、耕作放棄地で家畜を育てるには、その子牛の繁殖問題を含めて解決しなければならない点が、まだまだ山積しているようだ。


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2015年03月20日

コメを減産して野菜、ソバ、放牧へ転換という大胆提案 (上)



吉田忠則著 「コメをやめる勇気」 (日経新聞出版 1800円+税)

コメやめる.JPG

日本のコメ作りは今、ダブル・パンチを受けている。
1つは、人口減少と高齢化で、コメの消費が次第に減少していること。 
加えて、「蛋白質は角砂糖を食べているのと同じこと。 肥満、糖尿病、高血圧、アトピー性皮膚炎、アルツハイマーなどの病因そのもの」 という考えが徐々に浸透してきている。 そして、「減 蛋白質運動」 が、私を含めて急増中。
もう1つは、2013年の秋に、自民党が「2018年を目途に、コメの生産調性 (減反制度) と、減反に協力した農家に払っていた個別所得補償の補助金制度の廃止」 を決めたこと。
そして、昨年秋から関東産コシヒカリの生産者価格は、60キロ当たり20〜30%安の9000〜1万円にまで値下がりしてきている‥‥。

ともかく、「コメ作りを 守ってさえおれば‥‥」ということで、農林省と民主・自民党は票欲しさもあって、やたらに税金を農家にバラ撒いてきた。
1960年代で、日本の貧農問題は一応片が付いた。 
そして1970年代には、専業農家中心ではなく、日本独自の 「兼業農家」 中心体制が出来上がり、それが30年余も安定して続いてきた、とこの著書は強調。
世界に例を見ない 「兼業農家中心主義」 になったのには、3つの大きな要因があった。
1つは、コメの収穫量が小麦の2.2倍と高かったこと。
温帯に位置している日本は、雨が多くてコメ作りには最適。 こうした客観条件に恵まれて日本のコメ作りの生産性は、半世紀前までは世界のトップクラス。 ところが、大幅な灌漑作業が進んで、現在ではエジプト、オーストラリア、アメリカなど日射時間の多い国のコメづくりの方が、単位面積当たりの収穫量が日本よりも20〜30%も多くなってきている。
もう1つは、久保田の田植機の開発。 
もっともこの開発を促したのは苗の育て方の改善が大きな役割を果たしている。 それまでは、苗をコブシ大になるまで苗代で育ててから田圃に植えた。 長野県農事試験場の松田氏は、もっと小さな 「稚苗」 でも稲は育つと考えた。 この常識を覆す発想が、久保田の田植機の普及版を生み、コメ作りの生産性を一気に向上させた。
最後の1つは、コメ作りの生産性を阻んでいたのが夏の田の草取。 これは大変な重労働。
問題の多い除草剤の開発だが、苦しい農作業を解放してくれ 一気に省力化を進めた。

つまり、コメづくりだけの農業だったら夏期に男手一人でもなんとかなり、冬期には土木工事などの出稼ぎ行ける。 つまり、農業が主体の第1種兼業農家が生まれた。 この時代の主役は、昭和ヒトケタ生まれの長男坊。
そのあと、さらにコメ作りの機械化が進み、土日の週末だけの作業でコメが作れるようになってきた。 つまり団塊の時代で、フルタイムで会社に勤めて高収入を得ながら、農業でも所得をあげるという第2種兼業農家の登場。
フルタイムの勤め先には困らなかった。 今までの役場や学校以外に、大手や中小メーカーが競って地方に工場を建ててくれた。 下請だったが、建設関係の仕事も多かった。 卸や小売業からも求人があった。
つまり、日本の経済発展は、こうした兼業農家の労働力に支えられていたという面が強かった。
企業にとっても、労働者にとってもウィンウィンの関係が、30余年続いた。
そして兼業農家は、昭和ヒトケタの父の時代から、団塊の時代の子の時代、さらには少子化の孫の時代に移ろうとしている。 
孫は、農業体験がほとんどない。 専らサラリーマンとして生活してきたので、団塊時代の父が田圃をやらなくなったら、その田圃は貸すか放棄するしかない。 
まして、コメの価格が20〜30%も値下がりしているのだから‥‥。

かくして、あれほど強固に見えた日本の兼業農家システムは、いま 音を立てて崩れ始めているという。
1985年から2014年にかけて、第1種兼業農家は高齢化のせいもあって3/4が農業を止め、約1/4になってきている。 第2種兼業農家も半分以下になってきている。
これに対して、専業農家は20%弱の減少にとどまっている。 
「さすがは‥‥」 と言いたいところだが、この専業農家には、定年退職したので 「健康のために百姓でもやるべぇ‥‥」 と 農家を始めた人がカウントされており、必ずしも喜ぶべき現象ではなさそう。 それが証拠に、2010年の調査では65歳以上の比率が、兼業農家が42%に対して、専業農家はなんと66%も占めていると言う。 これが日本農業の実態。 

日本の農業は、戦後の農地改革でタダでもらった田圃で、コメづくりだと片手間で兼業出来たので、平均 2ha (2万u‥‥約6000坪) の土地でもなんとかやってこれた。 そして、ほとんどの農家は、高速道路などで土地が高く手放せることを祈念していた。
しかし、ここにきて土木工事は極端に少なくなってきている。 
新規に高速道路が出来るとか、ショッピングセンターが誕生するかも‥‥という淡い期待は、完全になくなってきた。
それどころか、2月20日にこの欄で紹介したアル・ゴア氏がいみじくも指摘したように、「グローバル化とは、発展途上国とロボットへのアウトソーシング」 にすぎない。
それが証拠に、2006年までの10年間に、地方の従業員数は223万人も純減している。 メーカーは東南アジアへ工場を移し、建設業は公共工事が激減。 卸・小売業も地方から撤退を開始している。 人口の急減と自治体の消滅危機が叫ばれるようになってきた。
素人の私は、「いまこそ大規模専業農家にとって、絶好のチャンスが到来」 だと捉えていた。
しかし、筆者はコメ作り農家にとって、規模拡大が必ずしも効率化を高め、利益確保に結び付いていないと指摘している。

ここ数年間は、毎年30〜40haの農地が持ち込まれ、2014年現在で何と耕作面積は710haにも達するという北上市の西部開発農産。 日本の平均農家の360倍という超大規模農家が、日本にはすでに現存している。 
「農地の端から端まで60キロ以上。 車で1時間はかかる」 という広さ。 そして、このまま放棄農地を引受けていたら、間違いなく数年後には1000haになるだろう。 
喜んでいると思いきや、照井社長の表情は冴えないと言う。
というのは、日本のコメの生産効率は5haを越すとコスト低減効果が薄れ、10ha超になると効率向上に急ブレーキがかかる。 1つ1つの田圃の面積が小さく、しかも分散している。 西部開発農産の地主の数は、なんと650人にも及ぶと言う。 
5つのブロックにわけて管理しているが、それでも生産性は低すぎる。
筆者は、西部開発農産は2つのことを教えてくれているという。
1つは、以前は誰一人としてこんなに短期間に農地が集まるとは想像もしていなかった。 しかし、高齢農家の引退とコメ価格の急落、さらには地方自治体の消滅という危機感から、土地を手放す人が急増し、短期間に大規模農業が可能になったこと。
もう1つは、面積上の規模を喜んでいる時代ではなく、大きな田圃に集約して行かないと、大規模経営そのものが危うくなって行くということ。

こうした大規模農業以外に、筆者は糸魚川駅から車で30分の新潟・市野々の中山間地の段々畑の集落を訪ねている。 この集落で越冬するのは70歳前半の斉藤夫妻だけで、10世帯の13人は、夏のコメ作りの時だけ集落を訪れている。 70〜80歳台が9人で、残り4人が60歳台。 一番若くて64歳という年齢構成。
斉藤さんは皆の年齢から考えて、コメ作りの1/6の労働力で済む 「ソバ作りに転身すべきだ」 と強調し、何人かの賛同を得て実験中。 しかし、畦があると水が溜まってソバの収穫量が落ちる。「段々畑の水田の、畦を如何にして無くして行くかが課題」 と斉藤氏は語る。
一方、平地の静岡・菊川インター近くの 農家として16代目のMさん。 父は先進的な農家だったが、自身はトラックの免許間で取りながら、農業に就かなかった。 そして、田圃は野菜作りをやっているTさんに貸している。 TさんはMさん以外からも20haを借りて野菜づくり。 レタスとキャベツが中心だが、トウモロコシやオクラなども作り、4〜5haが二毛作。 
このため、コメ作りの時とは景観が一変。 そして、Tさんは女手ながら売上は1億2000万円を記録するまでになってきている。
コメ作りから、野菜やソバ作りへ転身する好例。

そして筆者は、農林省が2010年に策定した、「カロリーベースで自給率を40%から50%へ引上げる計画は、ナンセンスだ」 と強調している。
この目的が達成できるとは誰も考えていない。 そして、「自給率の向上だけが目的化され、野菜を中心とした自給力の向上がなおざりにされている」 という。
日本では食品廃棄物は1700万トンあり、そのうちの500〜800万トンは、「食品ロス」。
「飽食」 を前提にして家畜のエサ用のコメに補助金を出す愚を改め、補助金のない野菜中心の自給力を向上させることこそ肝要だと説いている。 私はこの説には大賛成。


posted by uno2013 at 03:33| Comment(0) | 食料と農水産業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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