2013年06月15日

太陽光発電で日本があっという間に中国に追い抜かれた理由


丸川知雄著「チャイニーズ・ドリーム‥‥大衆資本主義が世界を変える」 (筑摩新書 800円+税)

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「中国というのは、銀行をはじめ鉄道・航空、石油・電気など、ほとんどが国有の大企業群で占められている」 という印象を、強く持っていた。
共産青年団や太子党の二世や三世が国家の権力を独占してリッチな生活を送り、社会主義の名で大衆を支配している一党独裁の国家。
民間に許されている企業は、私が知っている木材などの建材メーカーや流通業者、食品関係など限られた範囲に過ぎないと考えていた。

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ところが上図のように、15年前は鉱工業生産の半分を占めていた国有企業のシェアが、2011年には半減して26%になっている。
外資系企業は、半分は国有企業という面が強く、一時は32%を占めていたが、これまた国有企業と同様に26%になってきている。
それに変わって、民間その他の企業の比率が次第に増えてきており、50%を突破するのは間違いないと見られるまでになっている。
この図を見るまでは、中国は国有企業の天下と考えていた。 しかし、想像以上に民間企業が力を付けてきている模様で、先入観を修正する必要があるようだ。

中国に関係する著書は、年に最低数冊は読まされている。どちらかというと政治色の強いものが多いが、中には経済書も含まれている。その経済書と言っても、日本人の書いた 「中国で如何にしてうまく工場を立ち上げたか」 とか、「チェーン店を成功させたか」 という種のものが多かった。 一般的な経済書は、あまりにも取材が不足していて、観念的で読む気がしなかった。
そうした中にあって、この著者は温州をはじめ中小企業のメッカと呼ばれる場所へ足繁く通い、その生々しい姿を見事に捉えている。 中国というのは、その気になって取材すれば、かなり正確な実態が分かる国だということを教えてくれている‥‥。
なかでとくに面白かったのは、日本には見られない弱小資本がワッと集まる《大衆資本主義》の存在。
それこそ物真似とパクリの いやらしい世界だが、やたらにダイナミック。
その資本が、世界に見られない広大なゲリラ携帯電話産業を興し、世界の60%のシェアを占める太陽光産業をあっという間に生み出してきている。

この本を読む前に、日下公人・大塚文雄・Rモース共著の「見えない資産の大国・日本」(祥伝社) を読んでいた。 これは日本の製造業とアメリカの製造業とを比較したもの。 たしかに素晴らしい指摘が多くて参考にはなったが、今さら日本の産業界‥‥とくに製造業をアメリカのそれと比較してニヤついていても あまり意味がない。
日本の製造業を否定する頭の狂った経済学者が日本には何人かいる。 そうした雑音は一切無視することにして、日本の製造業は今こそ中国や韓国、台湾、マレーシアあたりの産業界の実態を学び、それに打ち勝つ手法を編み出してゆかねばならない。 それには、まず敵を知らねばならない。
そういった意味で、この著書は非常に大きな示唆を与えてくれる。

勤勉な日本人は、江戸時代の後期には 一人当たりのGDPでは世界一を誇っていたと言う。
しかし、18〜19世紀に入ると、蒸気機関の発明による機械化によって、イギリス式の大量生産方式が開発されて、大きく普及した。
明治維新で目覚めた日本は、この蒸気機関による量産方法を導入するために銀行を興し、大量の資本を集めてあらゆる産業を興した。 その中心的役割を果たしたのがあの有名な渋沢栄一氏であり、それ以外にも企業家が続出した。 もちろん官業の資本も多く導入されたが、民間銀行を中心として大量の資本を集めることで、遅れていた日本は高度成長を成し遂げることが出来た。
ところが著者によると、中国では民間による資本を集積して大きな企業を興そうとする例はほとんどない。
日本の明治維新とは全く別の流れだと言う。

筆者は、上海から約400キロ南下したところに位置する逝江省・温州市で、如何にして大衆資本主義が育ってきたかを丁寧に調べている。
温州では本格的に産業が育ち始めたのは改革開放政策が始まった35年前の1978年。 行商のネットワークに、ある炭鉱でスィッチの部品がなくて困っているという情報が入り、スィッチをつくり始めた人がいた。それを真似て近所の人と、そのまた隣の人がスィッチをつくり始め、瞬く間に全国の40%のシェアを占めるようになったという。
その次はボタンの生産で、次は製靴業。 このように、行商のネットワークで集めた情報をもとに、真似する人が増えて産地化するのが中国の大衆資本主義の特徴。
2008年の調査では、国有企業を除いて温州市には法人企業が5.5万近くあり、自営業に至っては46万社以上に及ぶと言う。 人口1万人当たりでは、日本の2倍以上の密度で民間企業が存在している。
著者の調査によると、同じ産業が集積しているところが温州だけでも153ヶ所にも及ぶという。 いずれもが物真似とパクリの世界。 そのほとんどが零細な資本で、日本のような大きな資本の民間企業は皆無。

さらに南に位置した香港に近い深セン市は、ゲリラ携帯電話産業の集積地として有名。
世界の携帯電話メーカーの主なシェアは、フィンランドのノキア、韓国のサムスン、アメリカのモトローラなど様々な技術開発力をもった大メーカーが占めている。
ところが、中国には従業員が10人以下の零細な携帯電話メーカーが数多く存在している。有名ブランドをコピーしたものやロゴを巧妙に似せているもの。 あるいはアニメのキャラクターを勝手に使っているものなどいかがわしい企業も多い。 だが、そうではなく真面目なオリジナル商品を持った携帯電話メーカーも多いとのこと。 いわゆる玉石混交。
なにしろ、2010年に深セン市のゲリラ携帯電話の生産台数は1億7200万台。日本の出荷台数の5倍以上にも及ぶから敵わない。

携帯電話というのは、昔は大手メーカーが基幹部品の開発やソフト開発から最終商品の開発まで抱え込む垂直統合型であった。
ところが、過去10数年のうちに特定の部品やソフトだけを特化するインテルやマイクロソフトなどが巨大になり、ついにはアップルのように製品のすべてを外部に委託し、本社は開発と販売だけに専業化するところが現われ、垂直分裂が進んだ。

事の起こりは台湾のICメーカーのMTK社。もともとペースバンドICは日本とヨーロッパメーカーが独占していた。 MTK社がペースバンドを開発したが売れない。そこで片っ端から中国メーカーに売りつけた。これがゲリラメーカーの設立を促したという。
携帯電話の回路基板の設計とソフトウェアの開発を行う 「基板・ソフト設計会社」 は、中国全土に400社以上もあるという。 筆者が訪れた最小の設計会社は従業員がたったの8人。 しかし、10数社のインテグレーターと呼ばれる携帯電話会社を顧客に持っている。 中には、アフリカ向けの専用携帯電話には懐中電灯をつけたものまであるという。
こうして1998年までは携帯電話は日本とヨーロッパの独壇場だったものが、現在では完全に中国に主導権を奪われてしまった。
日本の5倍もの携帯電話を生み出すゲリラ大衆資本主義に、日本は完全に翻弄されている。

この携帯電話と同じようなことが、太陽光発電でも起こった。
太陽光発電の生産は1980年代まではアメリカが中心で、81年には75%のシェアを持っていた。
だが、日本の電機メーカーが電卓や腕時計などに搭載するようになり、応用範囲が拡がった。そして、通産省のサンシャイン計画もあって、1994年にシャープが世界に先駆けて住宅用太陽光発電を開発した。
通産省の補助金もあったので、R-2000住宅を開発したばかりの私が関係していた藤和が太陽光発電3kWを無料でR-2000住宅に搭載し、いきなり30棟も売り、NHKの朝のニュースで大きく取り上げられたこともあった。そして、セキスイハイムが本格的に太陽光に取り組んで、一気に日本での需要を拡大させた。
かくして、シャープ、京セラ、三洋などが世界の需要の50%のシェアを占めることになった。
やがて、日本以外にもドイツなどで太陽光を導入する国が増え、導入量は2003年から2010年に30倍にも爆発的に拡大した。本来は、日本の電気メーカーがわが世の春を謳歌出来るはずであった。
ところが、そうは問屋が卸さなかった。拡大した需要をかすめ取る者がいた。
それが、中国の民間企業。

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上図のように、2004年時点での日本の太陽光発電量は602メガワットで世界の50%を占めていた。これが2011年には3.4倍の2069メガワットになったが、シェアはたった6.3%に激減。
一方中国は04年には40メガワットと日本の1/15にすぎなかったものが、2011年には515倍の20592メガワットと日本の10倍に拡大し、世界のシェアの60%を占めるまでになった。
わずか7年間で、誰もが想像できなかった逆転劇が起こったのである。
なぜ、こんな短期間に日中の逆転劇が起こったのか ?
それは、中国の大衆資本家たちが太陽光産業に飛びついたからだと筆者は説く。

日本では、シャープとか京セラという総合メーカーが、長年かけて技術を培ってきた。
一方、中国の民間企業は2001年以降に設立された若い企業ばかり。
しかも、セルやモジュールの生産に特化しており、販売まではやっていない。世界では日本の企業だけが太陽光発電に特化していない変わりもの。
つまり、いくつかある事業部の一つに過ぎず、日本独特の社内根回しという作業のために意思決定が徹底的に遅れたのが、大逆転劇を許した大きな1つの原因。

2つ目の理由は、太陽光発電の原価のうち、セルが占める比率が40%、モジュールが30%、設備設置が30%といわれている。
セル生産部門というのは、P型とN型と言う2種類の半導体をつくって貼り合わせる工程。
このセルをいくつも並べて電線で結合し、表面に薄いガラスを貼り、フレームに入れる工程がモジュール。モジュール部門は人手による作業が多いので、労働コストの安い国でつくった方が勝ち。
日本のメーカーは国内でつくっていたが、人件費で中国には敵わない。 ドイツやアメリカの企業はマレーシアの工場でモジュールをつくっており、新規進出の一条工務店はより工賃の安いフィリピンで作っている。

3つ目は、太陽光発電をつくる技術が、メーカーから 「製造装置メーカー」 に移行してきつつあるためだという。 この製造装置メーカーとしてアメリカのアブライド・メタリアル社が有名だが、日本のアルパック社の力も侮れない。
昭和シェルや一条工務店が簡単に太陽光産業へエントリー出来たのは、同社の存在があったから。

しかし、中国企業が急速に力を付けたのは、中国のサンテックス社が2005年にニューヨーク証券取引所に株を上場し、厖大な資金力を得たからだと言われている。これに刺激をうけ、トリナ、ルネソラ、ソーラーファン、カナディアンソーラー、インテリ―、LDK、JAソーラー、チャイナ・サナジーなど10社近くがアメリカやロンドン証券市場に上場し、資金力を得て設備投資を行った。
これが、日本と中国の逆転劇に決定的な影響を与えた。

しかし、あまりにも過剰な設備投資は、ヨーロッパ市場の縮小もあって大幅に稼働率と価格の低下を招いてきている。 4半期決算では中国メーカーは軒並み赤字を計上。
脱原発ということで、一時的に日本でもメガソーラーが注目されているが、あんなバカ高い電力料金での買上制度は、いつまでも続くわけがない。
日本において太陽光発電は、従来通り家庭用を中心に絞って行くべき。
そして、タブついて極端に安くなってきている中国や台湾のセルやモジュールの価格。 これをどう採り入れてゆくのか ?
それともアルパック社を一条工務店以外の日本の住宅関係者がどのように活用してゆくのか?

まだまだ、勝負は始まったばかり。
中国と一条工務店の天下が、いつまで続くかを注目したい。






posted by uno2013 at 08:44| Comment(1) | 再生可能エネルギー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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