2015年07月20日

「これからは新築よりもリノベーションだ」と説く新しい建築家 (上)



嶋田洋平著 「ぼくらの リノベーション まちづくり」(日経BP社 2200円) 

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筆者は東京理大建築学科卒。 西鉄ライオンズ・ファンの祖父が 北九州でやっていた食堂に「らいおん食堂」 と言う名をつけていた。 それからヒントを得て 「らいおん建築事務所」 を開設したのは5年前の2010年。
1976年生まれというから、34歳と若い時に独立。 大学院を卒業して独立するまでの間は、「みかんぐみ」という設計事務所で、チーフとして働いていた。
設計事務所だから当然のことながら新築の設計依頼が主流。 だが、途中から九州での仕事が多くなり、リノベーションという新事業の開発にまい進することになる。 このため、独立してからは 「100%近くがリノベーション物件だ」 という。

さて、ここでリノベーションの意味を確かめておきたい。
よく、技術革新のことをイノベーションという。 リノベーションとは リ・イノベーションと書く。 つまり、「既存の価値やアイデェアを、新しい技術革新によって創りなおす」 と言う意味になろう。
建築業界では、よく 「リフォーム」 という言葉が使われている。 修理や改善によって形を創りなおす仕事。 
しかし、このリフォームという言葉は、どちらかというと小さい修理や改善を指している場合が多い。 本格的な大きなものは リノベーションと呼ぶと覚えておいた方がよさそう。

筆者が、早くからリノベーションに関心があったのは、恩師・小嶋先生の次の言葉によるところが大きい。 
先生は学生に会う度に、「海外に行って勉強しろ!」 と口癖のように言っていた。
「君たちが社会に出て、バリバリと仕事をするようになる頃には、日本にはもう新築の仕事はなくなっている!  したがって建築の仕事をしたかったら、中国とか東南アジアへ行くしかなくなる‥‥」 と。
そして、筆者が4年生の時には 「1つの建物に、2つのプログラムを組込む」 という課題を与えられた。 この課題は、新築ではなく既存の建物を改修して、2つの機能を併存させろという課題。 例えば、家庭裁判所と保育所を併設するというような‥‥。 
先生は、地方自治体からの依頼で複合的な公共施設を設計していたが、不思議なプログラムの組合せの要望が多かったのは事実。 つまり、1999年の時点で、「リノベーションを課題として出していたのは、さすが先見の明」 と言うしかない。
筆者が大学に入った1995年には、日本の新築住宅の着工戸数は160万戸と言われていた。 それが現在は約80万戸と半減している。
その一方で、使われなくなった空き家が820万戸もあると言われている。 この数字を見て、建築家を目指す学生なら、「建築業界には未来がない」 とがっかりするだろう。 しかし筆者は、空き家は 「これからリノベーションの対象になる空間資源」 として捉えている。
そうした視点で見れば、「なんと新築需要の10年分に匹敵する需要が、そこいらに転がっている‥‥」 ということになる。

この著書を読むまでは、私は 「820万戸も古くて耐震性と省エネ性能の悪い住宅がある。 何とか早くこうした住宅を取壊すか、あるいは耐震・省エネ補強工事をすべきだ!」 と一方的に考えていた。 
まさか、「リノベーションの対象として、恰好の物件だ」 という考えが 世の中にあるとは知らなかった。
したがって、この著書には基本的には納得出来ない個所が多く出てくる。 しかし、そういった箇所もそのままの形で、著者の考えを紹介したいと思う。 
なまじ 私の個人的な見解を展開して、リノベーションという新しいうねりを損なうことがないようにしたいと考えるから‥‥。

筆者が最初にリノベーションに出逢ったのは、みかんぐみ時代に鹿児島の地場のデパート・丸屋から耐震改修工事の相談を受けた時。
しかしこの時、丸屋は大変な事態が勃発していた。
父と兄が立て続けに亡くなり、オーナーは東大を出て監査法人で働いていたバリバリのキャリア・ウーマンの玉川恵さんに変わっていた。
そしてこの時、30年間丸屋と提携していた三越が 伊勢丹との合併が決まり、採算性の悪い鹿児島からの撤退を決定した。 つまり、1階から9階まで、三越が使っていたビルがそっくり空き家になってしまう怖れが生じた。 
商業コンサルタントが、「後釜を必ず探してきます」 と口約束をしてくれてはいたが、当然のことながら、三越が撤退するくらいだから、変わりに入ってくれるテナントは簡単に見つかるはずがない。 みかんぐみは、一度 「丸屋を《D&DEPARTMENT》のように地場の企業に分割して貸す」 方式を提案したことがあったが、不採用となってお蔵入りに‥‥。
ただ、新オーナーの玉川女史は、時折この案を引張り出しては検討していたらしい。 そして商業コンサルタントが音を上げた時、玉川女史からD&DEPARTMENTの長岡氏に是非とも会わせてほしいとの依頼の電話がみかんぐみにあった。 

長岡氏は、パートナーであるコミュニティデザイナーの山ア氏らを紹介してくれた。
そして、山ア氏の 「今までデパートに来なかったお客を呼ぶ」 というテーマが承認され、1階から9階までの各階に10〜20坪の 「ガーデン」 と呼ばれるフリースペースが設けられた。
そしたら、驚いたことにはテナントが徐々に決まり始め、2010年にオープンするまでにはほとんどが埋まってしまった。 
これには、著者もビックリ。
その完成直後に、新装なった丸屋の屋上で、「第2回リノベーションシンポジゥム@鹿児島」
が開催された。 筆者はリノベーション業界の著名人と名刺交換をし、貴重な人材の面識を得て、リノベーション産業に乗出す格好のチャンスをつかんだ。

ちょうどその時、北九州市の父から筆者に電話がかかってきた。 父は祖父が開発した食堂事業に見切りをつけて、中屋ビルの地下でゲームセンターの経営を手伝っていた。
その中屋ビルは地下1階、地上4階建のRC造のビル。
その地上4階を全て使っていた婦人服専門店が、「翌年の1月に撤退すると言い出してオーナーが困っている。 何とかチエを貸してほしい」 という内容。
この中屋ビルは、鉄筋コンクリート造とは別に、昔からあって10年以上も空き家になっていた木造2階建の建物がくっ付いていた。 この空き家の1階部分は、10区画ほどに細分してクリエーターに貸しだすという 「コクラ・メルカート計画」 なるものを提案していたが、それ以上の具体的な対策案が浮かばなかった。
そうこうするうちに、オーナーの梯 (かけはし) 氏は、ガンで入院していた病院で亡くなってしまった。
後を継いだのは息子さんの輝元氏。 氏は町内会長にも選ばれる実力派で、リノベーションにも詳しく、「小倉家守 (やもり) 構想」 があることを知っており、著者が提案した 「コクラ・メルカート計画」 に大変な関心を示してくれ、「面白そうだ。 やりましょう」 と言ってくれた。 

「若いクリエーターの拠点を創る」 と口で言うのは簡単。 35歳以下の若い人で、自分が独立した時の経験に照らして3万円の家賃で貸す という方針は簡単に決められた。 しかし、そういった若い人を見つけてくる仕事こそが大変。 その難題を筆者がこなすしかない。 あらゆるツテを総動員して、なんとか1階に入る10人を見つけた。 そしたら、2階を食堂したいという2人組も現れた。
しかし、筆者はメディア関係者を何とか入居させたいと考えいたところ、「小倉経済新聞」 を構想している人に巡り合うことが出来た。
こうして、木造の部分は何とか満杯となった。 この働きかけを通じて、「小倉にも、何かことを起こしたくて スペースを求めている人は結構いる」 ということがよく分かった。
しかし、問題は各階とも150坪もあるという広いRC造をどう埋めるかという難題。



posted by uno2013 at 09:23| Comment(0) | 技術・商品情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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