2015年06月20日

今回は、「良い間取りについて」 考えてみたのですが‥‥。



大井隆弘著「日本の名作住宅の間取り図鑑」(エクスナレッジ 1600円+税)

名作間取り.JPG

「間取り」 について真剣に考えてみようと、上記の本を借りてきた。
なにしろ、「大正・昭和の名作」 22点、「明治の名作」 19点、「江戸の名作」 24点、計65点の名作のが選ばれているというから、「大変に勉強になる本だろう」 と本気で考えたとしても 許されるだろう。 どうやら、「名作住宅」 という言葉に騙された気配が‥‥。
名前が知れている住宅だからといって、その間取りが優れているとは限らない。
たしかにコルビジェの弟子の家、清屋清の家、前川国男邸、浜口ミホ邸とか、旧ハッサム住宅、旧グラバー邸、五箇山の合掌造り、飛騨高山の豪商邸のほかに、公営住宅51C型や同潤会代官山アパート、昔の足軽武士用の長屋までが網羅されている。
日本の住宅の歴史を調べるという意味では、たしかに参考になる。 しかし、とっくに知っていることしか書かれていない。「間取り作りの参考書」 としては役に立ってはくれなかった。
つまり、現在の商売に役立つと期待した方が間違っていた。

ご案内のように、私は富山県の南砺市の生まれ。
曾祖父が生臭坊主に騙されて保証人になったがために、大きな田畑から屋敷まですっかり取上げられてしまい、父母の時代は小さな家を建てて引っ越していた。 
しかし、何しろ 「家道楽」 の富山のこと。 安普請ではあったが、広さは60坪近くはあり、2階は大きな物置になっていた。 次男の兄の専門学校時代の本などが無造作に置かれてあったので、私にとってはまたとない書斎でもあった。
そして、母の生家にはお祭や法事などでは泊まりに行った。 また、近所の家に遊びに行ったり風呂を貰いによく行った。 どの家も 子どもでは抱えきれないほどの太い大黒柱を持っており、しかも屋根は瓦で葺かれていた。 規模は100坪以上と大きなものばかりで、屋根に積もった雪が落ちる時は、雪崩のようなすさまじい音が響いた。
つまり、昔は冠婚葬祭は すべて個人宅で行われ、お盆や正月には孫や曾孫までが宿泊するので、最低100坪の広さを必要とした。 
そして、どの家も使っているのは1階だけで、2階は物置程度にしか使っていなかった。

この大きな住宅て、暖房として使われていたのは、木の根っこを燃して涙が出てくるほどの煙に燻される囲炉裏か、炬燵しかなかった。 
アルミサッシが住宅に普及したのは、今から51年前の東京オリンピックの後のこと。
こんなことを書くと信じてもらえないだろうが、それまではどの家でも冬はラクダの股引を履き、シャツはラクダの外に最低3枚を併せ着をして、1人残らずドテラを着ていた。
つまり、冬期は木の建具や土塗壁が収縮して、隙間だらけとなるので 寒いのなんの‥‥。 
建築学の大家である清水一先生は、「日本一と言われている名工と言われる匠が造った数寄屋造でも、木などが乾燥する冬場はスキマが生じる。 そのスキマを全部集めると30センチ角の穴が 2つ分に相当する」 と書いていた。 
この清水一教授の話は、過去に何回となく取上げているので、「またか‥‥」 と思われる ご仁も多かろう。 しかし、初めて聞かれる若い人は、ビックリして腰を抜かすはず。

いいですか。 日本の最高水準の匠。 それが、スキマが出ないように、動物の毛を縫い込むようにして仕上げた木部と塗壁のジョイント部分。 その上、最高傑作の木の建具を用いても、30センチの穴が2つ空いたほどのスキマが、冬期の過乾燥時に生じた。
超一流の匠の仕事でこの有様。 まして、そこいらの棟梁のやった農家住宅だと、50センチの穴が2つ分空いていたとしてもおかしくはない。
つまり、5000cuの穴が開いている勘定。
そして、これをだ100坪の住宅に換算すると、C値 (相当隙間面積) は約15cu/uとなる。
ご存じのように、C値が15cuもあったのでは、機械でその気密性能は測定できない。
なにしろ、R-2000住宅では0.9cu/u、最近のパッシブハウスでは0.2〜0.3cu/uのスキマしか認めていない。 つまり、R-2000住宅に比べて約17倍、パッシブハウスに比べると50〜75倍ものスキマだらけの住宅だということ。
北海道での一般的なC値が2.0cuに比べても1/7〜1/8の性能。 プレハブの鉄骨造に比べても1/3〜1/4の性能に過ぎない。 大変に寒い住宅。 手にアカギレが出来て腫れるのは、当然だという寒さと過乾燥状態。
その住宅に、日本人は何千年もの間、じっと耐えてきた。

30〜50センチ角の穴が2つ空いているということは、部屋の室内温度と外気の温度が変わらないということ。 つまり、外気が−2℃だと、室内も−2℃で、台所には氷が張っていた。
それが、当り前だった。
アルミサッシは、今でこそ 「結露の最大の原因」 として毛嫌いされているが、50年前は 「隙間風をふさいでくれる天使として崇められていた」。
つまり、内外の温度差がゼロであったものが、隙間が無くなったことにより、外気は−2℃でも、室内は+3℃になってくれた。 
それと、同時に灯油が日本でも使われるようになってきた。 
寒い北海道では、最初から石炭ストーブが普及し、石炭を焚くことで寒さを凌いできた。 このため、冬期の札幌などは、空気も雪も真っ黒だった。
内地では、アルミサッシの普及によるスキマがないことによって内外の温度差は5〜6℃になった。 プラス灯油の普及により内外の温度差は、急激に大きくなっていった。

私が住宅用サッシの普及に、人一倍に熱心に取組んだのは、あの富山の冬の寒さを実感していたから。 そして、その後一段と高気密と高断熱に取込まれていったのは、富山の大きな家のすべてが低気密で、低断熱だったからの反動とも言える‥‥。
その時の悪魔の住宅が、この本の江戸時代の名作となっているだけではなく、明治の名作にも、大正・昭和の名作にもなっている。 そのままの姿で、恥ずかしくもなく登場している。 
私は、この本の間取集を見ているうちに、子ども時代の寒さを思いだして、身体が震えてとまらなかった。
それなのに、建築家である筆者と出版社は、「名作だ!」 などとふざけている。 
これを、黙って許して置いてよいものか? というのが私の偽らざる本音。
そして、アルミサッシの普及と灯油の普及により、室内外の温度差は急激に大きくなってきたが、同時にガラスなどのサッシ表面の結露と、外壁や天井、床下の内部結露という重要な問題も表面化してきた。
日本の、高気密・高断熱住宅の歴史は、こうした一連の結露との闘いの歴史でもあった。
それなのに、その最重要問題を避けて、この著書は間取りの話だけしているのだから、呑気というよりは 世間知らずというべき。

そして、間取りというのは、まず土地の形状と大きさ、方位や準防火地域などの建築制限によって大きく左右される。
そして、住む人の考えや趣味、価値観、年齢や職業によってさまざま。 どれ一つとして同じプランで満足はしてくれない。 つまり、プランというのは、住む人の条件次第で千差万別。
そして、セントラル空調換気システムを採用する場合は、平面プランと同時に、ダクトや空調換気機械のメンテナンスが簡単に出来る置場や分配器の置場、それらを含めた構造図も一緒にプランしなければならない。
よく、平面プランを先に作って、後でダクトなどの配置計画を依頼されることがあるが、これは順序が逆。 先に、気密・断熱性能を定め、セントラル空調換気システムを採用するか否かを決めるのが筋道。 住宅の性能を抜きにしたプランでは、絶対に満足感が得られない。

したがって、この本を読めば読むほど、実態に疎い寝ごとに過ぎないということが判ってくる。
と同時に、日本の空調換気の技術屋さんはどこまでもビル工事の技術屋さん。 欧米の技術屋さんのように住宅のディテールに明るくなく、いつも投げやりの現場を見せつけられているので、技術屋さんに対する不信感は大変に根深いことを知ってもらいたい。
そういった実態を知った上でないと、一般消費者が住宅の性能に口を出しても、決してうまくゆかないという現実も知って頂きたい。


posted by uno2013 at 10:32| Comment(0) | 技術・商品情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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