2015年03月20日

コメを減産して野菜、ソバ、放牧へ転換という大胆提案 (上)



吉田忠則著 「コメをやめる勇気」 (日経新聞出版 1800円+税)

コメやめる.JPG

日本のコメ作りは今、ダブル・パンチを受けている。
1つは、人口減少と高齢化で、コメの消費が次第に減少していること。 
加えて、「蛋白質は角砂糖を食べているのと同じこと。 肥満、糖尿病、高血圧、アトピー性皮膚炎、アルツハイマーなどの病因そのもの」 という考えが徐々に浸透してきている。 そして、「減 蛋白質運動」 が、私を含めて急増中。
もう1つは、2013年の秋に、自民党が「2018年を目途に、コメの生産調性 (減反制度) と、減反に協力した農家に払っていた個別所得補償の補助金制度の廃止」 を決めたこと。
そして、昨年秋から関東産コシヒカリの生産者価格は、60キロ当たり20〜30%安の9000〜1万円にまで値下がりしてきている‥‥。

ともかく、「コメ作りを 守ってさえおれば‥‥」ということで、農林省と民主・自民党は票欲しさもあって、やたらに税金を農家にバラ撒いてきた。
1960年代で、日本の貧農問題は一応片が付いた。 
そして1970年代には、専業農家中心ではなく、日本独自の 「兼業農家」 中心体制が出来上がり、それが30年余も安定して続いてきた、とこの著書は強調。
世界に例を見ない 「兼業農家中心主義」 になったのには、3つの大きな要因があった。
1つは、コメの収穫量が小麦の2.2倍と高かったこと。
温帯に位置している日本は、雨が多くてコメ作りには最適。 こうした客観条件に恵まれて日本のコメ作りの生産性は、半世紀前までは世界のトップクラス。 ところが、大幅な灌漑作業が進んで、現在ではエジプト、オーストラリア、アメリカなど日射時間の多い国のコメづくりの方が、単位面積当たりの収穫量が日本よりも20〜30%も多くなってきている。
もう1つは、久保田の田植機の開発。 
もっともこの開発を促したのは苗の育て方の改善が大きな役割を果たしている。 それまでは、苗をコブシ大になるまで苗代で育ててから田圃に植えた。 長野県農事試験場の松田氏は、もっと小さな 「稚苗」 でも稲は育つと考えた。 この常識を覆す発想が、久保田の田植機の普及版を生み、コメ作りの生産性を一気に向上させた。
最後の1つは、コメ作りの生産性を阻んでいたのが夏の田の草取。 これは大変な重労働。
問題の多い除草剤の開発だが、苦しい農作業を解放してくれ 一気に省力化を進めた。

つまり、コメづくりだけの農業だったら夏期に男手一人でもなんとかなり、冬期には土木工事などの出稼ぎ行ける。 つまり、農業が主体の第1種兼業農家が生まれた。 この時代の主役は、昭和ヒトケタ生まれの長男坊。
そのあと、さらにコメ作りの機械化が進み、土日の週末だけの作業でコメが作れるようになってきた。 つまり団塊の時代で、フルタイムで会社に勤めて高収入を得ながら、農業でも所得をあげるという第2種兼業農家の登場。
フルタイムの勤め先には困らなかった。 今までの役場や学校以外に、大手や中小メーカーが競って地方に工場を建ててくれた。 下請だったが、建設関係の仕事も多かった。 卸や小売業からも求人があった。
つまり、日本の経済発展は、こうした兼業農家の労働力に支えられていたという面が強かった。
企業にとっても、労働者にとってもウィンウィンの関係が、30余年続いた。
そして兼業農家は、昭和ヒトケタの父の時代から、団塊の時代の子の時代、さらには少子化の孫の時代に移ろうとしている。 
孫は、農業体験がほとんどない。 専らサラリーマンとして生活してきたので、団塊時代の父が田圃をやらなくなったら、その田圃は貸すか放棄するしかない。 
まして、コメの価格が20〜30%も値下がりしているのだから‥‥。

かくして、あれほど強固に見えた日本の兼業農家システムは、いま 音を立てて崩れ始めているという。
1985年から2014年にかけて、第1種兼業農家は高齢化のせいもあって3/4が農業を止め、約1/4になってきている。 第2種兼業農家も半分以下になってきている。
これに対して、専業農家は20%弱の減少にとどまっている。 
「さすがは‥‥」 と言いたいところだが、この専業農家には、定年退職したので 「健康のために百姓でもやるべぇ‥‥」 と 農家を始めた人がカウントされており、必ずしも喜ぶべき現象ではなさそう。 それが証拠に、2010年の調査では65歳以上の比率が、兼業農家が42%に対して、専業農家はなんと66%も占めていると言う。 これが日本農業の実態。 

日本の農業は、戦後の農地改革でタダでもらった田圃で、コメづくりだと片手間で兼業出来たので、平均 2ha (2万u‥‥約6000坪) の土地でもなんとかやってこれた。 そして、ほとんどの農家は、高速道路などで土地が高く手放せることを祈念していた。
しかし、ここにきて土木工事は極端に少なくなってきている。 
新規に高速道路が出来るとか、ショッピングセンターが誕生するかも‥‥という淡い期待は、完全になくなってきた。
それどころか、2月20日にこの欄で紹介したアル・ゴア氏がいみじくも指摘したように、「グローバル化とは、発展途上国とロボットへのアウトソーシング」 にすぎない。
それが証拠に、2006年までの10年間に、地方の従業員数は223万人も純減している。 メーカーは東南アジアへ工場を移し、建設業は公共工事が激減。 卸・小売業も地方から撤退を開始している。 人口の急減と自治体の消滅危機が叫ばれるようになってきた。
素人の私は、「いまこそ大規模専業農家にとって、絶好のチャンスが到来」 だと捉えていた。
しかし、筆者はコメ作り農家にとって、規模拡大が必ずしも効率化を高め、利益確保に結び付いていないと指摘している。

ここ数年間は、毎年30〜40haの農地が持ち込まれ、2014年現在で何と耕作面積は710haにも達するという北上市の西部開発農産。 日本の平均農家の360倍という超大規模農家が、日本にはすでに現存している。 
「農地の端から端まで60キロ以上。 車で1時間はかかる」 という広さ。 そして、このまま放棄農地を引受けていたら、間違いなく数年後には1000haになるだろう。 
喜んでいると思いきや、照井社長の表情は冴えないと言う。
というのは、日本のコメの生産効率は5haを越すとコスト低減効果が薄れ、10ha超になると効率向上に急ブレーキがかかる。 1つ1つの田圃の面積が小さく、しかも分散している。 西部開発農産の地主の数は、なんと650人にも及ぶと言う。 
5つのブロックにわけて管理しているが、それでも生産性は低すぎる。
筆者は、西部開発農産は2つのことを教えてくれているという。
1つは、以前は誰一人としてこんなに短期間に農地が集まるとは想像もしていなかった。 しかし、高齢農家の引退とコメ価格の急落、さらには地方自治体の消滅という危機感から、土地を手放す人が急増し、短期間に大規模農業が可能になったこと。
もう1つは、面積上の規模を喜んでいる時代ではなく、大きな田圃に集約して行かないと、大規模経営そのものが危うくなって行くということ。

こうした大規模農業以外に、筆者は糸魚川駅から車で30分の新潟・市野々の中山間地の段々畑の集落を訪ねている。 この集落で越冬するのは70歳前半の斉藤夫妻だけで、10世帯の13人は、夏のコメ作りの時だけ集落を訪れている。 70〜80歳台が9人で、残り4人が60歳台。 一番若くて64歳という年齢構成。
斉藤さんは皆の年齢から考えて、コメ作りの1/6の労働力で済む 「ソバ作りに転身すべきだ」 と強調し、何人かの賛同を得て実験中。 しかし、畦があると水が溜まってソバの収穫量が落ちる。「段々畑の水田の、畦を如何にして無くして行くかが課題」 と斉藤氏は語る。
一方、平地の静岡・菊川インター近くの 農家として16代目のMさん。 父は先進的な農家だったが、自身はトラックの免許間で取りながら、農業に就かなかった。 そして、田圃は野菜作りをやっているTさんに貸している。 TさんはMさん以外からも20haを借りて野菜づくり。 レタスとキャベツが中心だが、トウモロコシやオクラなども作り、4〜5haが二毛作。 
このため、コメ作りの時とは景観が一変。 そして、Tさんは女手ながら売上は1億2000万円を記録するまでになってきている。
コメ作りから、野菜やソバ作りへ転身する好例。

そして筆者は、農林省が2010年に策定した、「カロリーベースで自給率を40%から50%へ引上げる計画は、ナンセンスだ」 と強調している。
この目的が達成できるとは誰も考えていない。 そして、「自給率の向上だけが目的化され、野菜を中心とした自給力の向上がなおざりにされている」 という。
日本では食品廃棄物は1700万トンあり、そのうちの500〜800万トンは、「食品ロス」。
「飽食」 を前提にして家畜のエサ用のコメに補助金を出す愚を改め、補助金のない野菜中心の自給力を向上させることこそ肝要だと説いている。 私はこの説には大賛成。


posted by uno2013 at 03:33| Comment(0) | 食料と農水産業 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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