2014年11月20日

高倉氏の葬儀。R-2000住宅に触れる人がなかったのが残念



昨日、高倉俊明氏葬儀に参列してきた。
昨日は大安。 忙しい業界人は前夜の通夜に参列したようだが、所要があって私は通夜には参列出来ず、昨日は3時半に起き、6時25分の飛行機で駆けつけ、やっと間に合った。 
そして、十勝から泊まりがけで参列していた赤坂十勝2X4協会長をはじめ、多くの仲間と高倉氏の業績を偲ぶことが出来た。

今年、ツーバイフォーは 「オープン化40年」 を迎えた。
協会をはじめカナダのCOFI等でいろんな行事を行ってくれている。 
今年の春、高倉氏に会った時、「何とか盛大に40周年記念をやりたい。手伝ってくれないか」 と頼まれた。
しかし、言っていた40周年記念と言う内容ではなく、12月15日にホテル・ポールスター札幌で14:30〜17:00まで 「道産材と枠組壁工法」 というセミナーが計画されている。 道産材のツーバイフォーを使った場合に、住宅支援機構のフラット35の融資が優先的に受けられるようにしたのを記念したもので、有馬孝禮東大名誉教授の記念講演と、石井祐二、平井卓朗北大教授をはじめ、産業界の有志が参加したパネルデスカッションに期待が持たれている。

私が高倉氏と会ったのは、ツーバイフォーがオープン化される前で、44年前のこと。
彼の実家は札幌で建材販売店・よねくらを経営しており、後を継ぐべく東京の建材店に丁稚奉公に出されていた時のことだった。
北米のツーバイフォー工法の生産性の高さと価格の安さに目覚めた彼は、札幌へ帰って仲間作りを始めてくれた。 しかし、建材販売店の立場でいくら工務店に働きかけても、なかなか工務店は簡単に動いてはくれない。
つまり、いくら良いツーバイフォー工法であっても、「実際に建てて見せ、利益を出して見せない限り工務店は簡単には動けない」 ということを悟った。
そこで彼は、建材店とは別に、新規に「よねくらホーム」 というビルダーをベンチャー企業として立ち上げた。
そして、ツーバイフォー工法がオープン化した1974年に、「北の杜団地」 という48区画のツーバイフォー工法の分譲に乗出した。
土地の取得には、三菱商事の神保木材部長が資金面で全面的に支援。 
そして、北海道では初めてのタウンハウスを建設するなどして、札幌にツーバイフォー工法を根付かせてくれた。 
また、ツーバイフォー工法の北海道支部長としての活躍も目覚ましく、とくに十勝ツーバイフォー協会のフレーミング検査員として、毎年新しい指導者育成に出かけ、多大な貢献を果たしていた。

このように、北海道の初期のツーバイフォー工法の普及期には、高倉氏の存在を無視してツーバイフォーを語ることはできない。 
しかし、私にとってはッ―バイフォー工法の高倉氏という立場よりも、ツーバイフォー協会R-2000部会長としての氏の活躍の方が、はるかに大きく印象に残っている。
カナダの資源エネルギー省からR-2000住宅が日本へ紹介されたのは今から26年前の1988年。
このR-2000住宅というのは、紀元2000年までにカナダの全新設住宅のR値を20にしょうというもの。 Q値で言うならば1.3〜1.4Wという高性能にしょうというもの。
札幌のたかくらホームと仙台の北洲ハウジングでは、1988年の時点で、カナダ大使館から資料をもらい、いち早くR-2000住宅に着手していた。 
この両社の活躍ぶりに動かされて、私が関東地域で初めてQ値1.4W、C値0.9cu/uという高気密高断熱住宅に取組んだのが翌1989年。
日本の高気密高断熱住宅は、このR-2000住宅をもって嚆矢とする。

そして、高倉氏に尻を叩かれて、日本の環境にマッチした 「R−2000住宅の設計・施工マニュアル」 を完成させ、建設大臣認定制度として、ツーバイフォー協会の正式な事業として軌道にのせたのが23年前の1991年。
このR-2000住宅は、当初は価格が高く、なかなか軌道にのせることが出来なかった。
しかし、日本とカナダで連続7回に亘るワークショップの開催で、高気密高断熱と、換気に関する共通の理解が深められてきた。 そして、断熱材とPVCのペア・ガラスの供給体制がやっと揃い、日本によねくらホーム、北洲ハウジング、ハーティホーム、マイスターハウスなどの専業住宅業者がスクスクと育ってきた。
片手間でやっていたのでは、お客満足度が得られない。 「専業ビルダーの存在なくして高気密高断熱住宅はあり得ない」 ということが、誰の目にも明らかになり、年間500棟以上のR−2000住宅が提供されるようになった。
しかし、何でも屋だったツーバイフォーの大手住宅メーカー。
三井ホーム、三菱地所ホーム、東急ホームは、何でも屋であるがために、施工を代理店に任せていた。 このため、C値0.9cuという気密性能が担保出来なかった。
完成時に気密テストをすると、いづれも0.9cuをオーバーして、大きなクレームを抱える破目になった。 このため、ツーバイフォー大手メーカーのR-2000住宅離れが進んだ。

折しも、建設大臣認定制度が廃止され、三井ホームの働きかけで協会の専務理事がR-2000住宅に反旗を翻して、カナダ政府の無償行為に後足でドロをかけてしまった。
こうした大手住宅メーカーの謀反行為もあって、R−2000住宅がツーバイフォー協会の認定事業に格上げされてから7年目の1998年に、心痛も重なって、高倉氏は肺ガンを患い入院を余儀なくされた。
ただ、不幸中の幸いだったのは、看護婦の妹の示唆で手術を避けたこと。
だが、トップの入院というアクシデントに見舞われたことで、よねくらホームから次第に生気が失われていった。 
彼が復帰した2000年の年末に札幌へ呼び出されて、銀行筋を一緒に回らせられた。 しかし、効果がなく、翌2001年の1月によねくらホームは閉鎖に追い込まれた。

そして、高倉氏はビルダー時代に築いた人脈を生かして、一時は北海道電力に勤めていたが、2005年には 「北海道住宅の会」 を発足させ、自ら事務局長兼専務理事として、道材によるツーバイフォー材の開拓に渾身の努力を払ってきた。
その一つの成果として、「道材によるツーバイフォー工法への、フラット35の優先的採用」 という成果を今年の秋に獲得している。
そこで、氏の寿命が尽きた。
「法名 光明院釈俊雄」 に合掌。


弔辞を読む北海道住宅の会林理事長.JPG

写真は、弔辞を述べる北海道住宅の会・林理事長。



posted by uno2013 at 14:46| Comment(0) | 産業・経営 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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