2013年09月10日

特許戦略のない日本の 「もの作りが」 が韓国、台湾、中国に負けた !


鳴川和代著 「知財で戦え」 (ダイヤモンド社 1600円+税)

知財で戦え.JPG

日本のモノ作り‥‥つまり圧倒的なシェアを誇っていた半導体やカラーテレビ、それに太陽光発電に代表される日本の家電を中心とするモノ作りが、後発の韓国や台湾、中国にことごとく負け、敗走が続いている。
その原因は一体何なのか。
今まで経済学者や評論家、コンサルタントや企業経営者の書いたものや意見は出来るかぎり読んできた。しかし、本心から納得できる意見に出会わなかった。
そして、この著書は名もない女性が書いたもの。 題名はカッコ良いが、内容はほとんど期待できないだろうとタカをくくって読み始めた。

案にたがわず、第1章の 「モノづくりから知的財産の時代へ」 は、ありきたりの一般論に過ぎず、投げ出したくなってきた。
ところが、第2章から第4章までは、一転して山本秀策特許事務所の所長の立志伝記。
つまり、筆者の独自の考察は一つもなく、山本秀策という鬼才弁理士の生い立ちからその経営哲学などを述べている。 それだけ。
つまり、著者が鳴川女史であるならば、本の題名は 「間違えた日本の知財戦略」 とし、副題として 「山本秀策という国際的な弁理士の誕生と経営哲学」 とすべきであった。 
著者は山本秀策の単なる紹介者にすぎない。 それなのに、いかにも自分の考えのように書くから、読者としてはものすごい抵抗感を覚えさせられる。 
そして第5章では、山本秀策氏自身が自分の考えを堂々と発表している。
つまり、序章を全面的に変えるとともに第1章は不要で、第5章をもう少し充実させた方が、はるかに優れた内容になったであろう。 
著者はあくまでも代筆者に過ぎない。著者を山本秀策にして、筆者は黒子に徹した方がはるかに信頼できる著作になったことは間違いない。 そして、読者は安心して読める。
そんなわけで、この著書は第1章を飛ばして、いきなり第2章から読み始めると大変に面白く、非常に参考になることを保証したい。

山本秀策氏は阪大の発酵工学科を1966年に卒業し、創業50年を迎えて薄口醤油を新発売するなど事業拡大中の千葉・野田市のキッコーマン醤油本社の研究所に、研究職として入社した。
しかし、大阪生まれの山本氏には千葉の訛りになじめず、入社3年目に両親の面倒をみる必要性から兵庫・高砂の関西工場に転勤し、結婚している。 
仕事はどこまでも研究者。 キッコーマンには「キッコーマン菌」と呼ばれる酵菌があった。長年にわたって受け継がれてきたもので、聖域とされていた。 誰もこの酵菌の改良には手を出そうなどとは考えていなかった。
しかし、うまい醤油が作るのが仕事と割り切っていた山本は、この秘伝の酵菌と向き合う日々が続いた。 そして、アミノ酸濃度が高く、うまみの強い醤油を生む262という名の酵菌が誕生。
当時の日本人の1/3はこの醤油を口にしたはず。
この262の特許を出願するため、日本語と英語で論文を書き上げた。 ところが、外部の特許事務所は発明の内容を理解せず、ピント外れの申請書類を書いてきた。 その時、山本は初めて特許に絡む弁理士という職業があることに気がついた。
そして、乾いた海綿が水を吸い込むように、仕事が終わってから夜中は一心不乱に知財の勉強に明け暮れた。睡眠時間は日に2〜3時間の日々が続いた。
そして、入社6年目の1972年に弁理士試験に合格している。 しかし、終身雇用で安定している生活を捨てて弁理士になるには、1年半ものモンモンした時間が必要だった。 そして1974年に会社を辞め、大阪の弁理士事務所に入所している。
その事務所は、大手家電メーカーのアメリカやカナダでの特許出願の仕事もあった。 そして、所長の英語はどこか納得できず、どうしてもアメリカで学んでみたいという気持ちが抑えられなかった。子供のこともあり、また留学資金の調達という大問題もあって、山本がアメリカへ向かったのは1978年、34歳の時だった。
アメリカのアームストロング事務所の所長とパートナーのマーメルステインは定期的に日本を訪れて、講演会の講師を務めたりしていた。 そのアームストロングに、山本が「あなたの事務所で、ぜひとも研修生として受け入れて欲しい」 と懇願したら、熱意にホダされてOKの返事が得られ、ワシントンDCへ旅立ったというわけ。

ワシントンでの1年間の山本の生活は多忙を極めた。
アメリカでは、法律を学ぶことは成文 (法律) を学ぶだけではダメ。 判例が重視される国のため、膨大な判例集を読まねばならない。 さらにアメリカの特許法を理解するにはアメリカの国民、文化、思考方法を学ばねばならない。 
夜はロースクールで特許法・商標法を、セミナーでは特許実務のライセンスを学び、加えて外国人は必ず英語を学ばねばならない。息をつく暇もない毎日。
そのうちに、日本人がアームストロングのオフィスに滞在していることを聞きつけて、クライアントが紛争の相談を持ちかけてくるようになってきた。 それを的確にこなしているうちにクライアントがクライアントを呼んで、口コミが広がっていった。 その着実で、丁寧な山本の仕事ぶりは、ワシントンDC以外にも広がっていった。

そうした超多忙の中で、山本は「アメリカは知財という特許制度が国を動かしている」 ということを知った。 これに対して、日本の特許事務所は特許出願業務にだけ力を入れており、肝心の知財に対する戦略がなく、若い人材が育っていない。
アメリカで特許法、商標法を学び、アメリカ特許庁のパテント・アカデミーを修了した山本は、アメリカで築いた人脈をもとに大阪の北区に特許事務所を開設した。 特許出願だけに偏るのではなく、若い人材育成を目的にした知財に明るい特許事務所を目指して‥‥。
時は1979年。 ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていた時代。
それ以来すでに34年間が経っている。
その34年間に獲得したクライアントの80%が、アメリカの企業や大学。 
そして、現在の山本特許事務所は、200名の所員を有する最大級の特許事務所に育ってきている。 うち男女の比率は意図したとおりに5分々々で、アメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、シンガポール、タイ、マレーシアなど17カ国からやってきた外国人の比率が30%を占めている。
そして、とくにバイオと医薬に関しては、スペシャリストを揃えている。

しからば、どうして山本事務所の人気が高いのか。
それは、単に特許を申請するというだけではなく、クライアントが抱えている問題を解決するプロ集団だということ。 このことが世界から認められてきたから‥‥。
常に1級の人材を送り込み、書類の字面の裏にあるものを読み取る。 そして、「スピード&クオリティ」が事務所の合言葉。 だから日本における知的財産代理人を選ぶ時は、間違いなく山本事務所の名前が挙がる。 その裏には緻密な人材育成システムが存在する。
組織がフラットで、多様性とコミュニケーション力が強い人材を育てるシステムとは‥‥。 それには絶対にウソは許さない。 ウソをつくのは構わないが、その時は解雇を覚悟しなければならない。トラブルは誰にでも訪れる。 それは自分が飛躍出来るチャンスでもある。 その時にウソをつくと、必ず次のトラブルの時もウソを言ってしまう。 このため、大切な人材であってもウソが判明すれば、その場で切ってしまう。 それがオフィスのルール。
こうした経営のノウハウが、同社には腐るほどある。それも追いたいが、紙数が足りない。

私が一番知りたいのは、日本のモノ作り力が、どうして急激に落ちたのかという理由。
山本所長は、次のように言っている。
私が事務所を開設した時は、日本は破竹の勢いで半導体などが急成長していた。アメリカの市場の40%も抑えてしまった。 このため、モノ作りに対してアメリカは意気消沈していた。 ちょうど今の日本が、対韓国、対台湾、対中国で悩んでいるのとそっくりの関係。
しかし、そんな時でもアメリカは日本から毎年3000億円の特許料をとっていた。 
つまり、いくら日本の製造業に勢いがあったにしても、基幹特許、基幹技術はアメリカが握っていた。 日本は改良技術でアメリカに勝っていると豪語していたが、立場が変わった現在の日本には、韓国、台湾、中国から特許料がとれるほどの基幹技術がない。 このことが問題。
ハイテクの分野ではアメリカに勝負をかけてもかなわない。 アメリカはどんな分野でも日本に勝つというのが知財の基本戦略。 日本にはこの戦略がなかった。 このためハイテクだけではなく、日本が進んでいた通信分野やバイオ分野。 とくに味噌、醤油で培った発酵工学というバイオ分野では日本が世界一のはずだった。ところが、それまでもアメリカにしてやられている。

日本の企業は、その後も死にもの狂いで外国に特許を出願した。 にもかかわらず、現在は韓国、台湾、中国にことごとくやられている。 どこに問題があったかというと、特許の中身、権利に対する問題の詰めが甘かった。
日本の企業は、基幹部分全体に網を打つような手法で特許を取得するのではなく、一つの技術を守る形で特許を取得しているのが大半。 ということは、その特許をかわすことが出来れば、同じ発想で今まで以上の品質をもった製品が出来る。 製品の質が日本より若干低くても、国民の生活レベルではそれで十分。 かくして、日本の特許の類似品が堂々と通用し、日本のモノ作りが韓国、台湾、中国に敗れてしまった。 
基幹技術全体に網をかけなかったことと、日本でリストラされた優秀な技術者が韓国などに大幅にスカウトされたということも大きかった。 当面の収益だけを考えて、強豪相手に有力な塩を与えてしまったというのがサラリーマン経営者がやった悪しき実績。
アップルの特許のポイントの一つに映画とか音楽情報をダウンロードする仕組みに関するものがありる。1回ダウンロードするたびに700円払うとすると、その中の300円がアップルに入る。 技術に関する特許ではなく、情報の取り扱いに関する特許。つまり、サービスを売ることでアップルにはお金がジャブジャブ入ってくるシステム。
オープンイノベーションということが言われているけど、ここ一番というとこはアメリカが自社特許として抑えている。 オープンイノベーションで重要なことは、肝心のポイントをおさえられるという目利きができる人間がいるかどうか。 そこさえ抑えることが出来れば、後は持っている資料を全部出してもいいのです。

日本は、特許出願件数は非常に多い。ところが、新興国に技術で追い抜かれている。それは、目利きのできる者が不在で、意味のない、カネにならない特許ばかりを取っていたから。 枝葉の部分ばかりで、根幹の部分を抑えていないかったから‥‥。
たしかにモノ作りは大切。しかし、一旦作れるようになれば、何も考えていなくても同じものが作れる。一旦ベルトコンベアに乗せると機械が作ってくれる。
ところが、サービスは、都度考えないと成功しない。 モノ作りの方が楽だという現実に、日本の企業が逃げている。 これでは勝てない。
そして肝心なことは、特許というのは特許部や知財部に任せで、企業のトップの担当になっていないということも大きい。 このため戦略性に欠け、数さえ取ればよいという風潮を許してきた。
今、日本が新興国に敗れているのは、日本の法体系と裁判所、知財を運用する特許庁など、すべてに責任がある。
そして、私が強調したいのは、特許法73条の改正。
これは、産学連携で特許を出願することがある。その場合、この特許を他の企業が使いたいと大学に申し出ても、共有特許権者の同意がないとライセンスできないという定められている。これを撤廃すべきだと山本所長は声を大にして叫んでいる。
もう一つ、特許法35条も外国企業の撤退の主原因になっていると所長は叫んでいる。

それと、産学連携で伸びてきたアメリカと、産業界と手を結ぶことを嫌ってきた日本の大学教育そのものに大きな問題点がある。
大学の使命は、「教育と研究」。
この研究を大学ではやっていない。 したがって、毎年同じ内容の教育しかできない。
研究のネタは企業にある。 企業は常に改善、開発を迫られている。 消費者の要望も常に変わってきている。 そのホットなネタが大学側に伝わらない。 したがって、ホットな研究が大学でなされていない。 役人が考え出したテーマが、もっともホットな研究テーマだと勘違いしている。
皆さん。 この山本氏の発言をどう考えられますか‥‥。
私は、住宅建築関係にとって、氏の発言ほど正鵠なものはないと考えています。 企業の第一線で問題になっている大テーマをネタとして研究をしょうとする大学がほとんどない。 ホットなネタを大学側が探そうとせず、また企業側もハナからあきらめて持ち込もうとしない。このため、ホットなネタの裏付けのないLCCM住宅などが幅を利かすというナンセンスな事態が起こっている。
一方アメリカでは、ノーベル賞受賞者数は、特許出願数の多い大学に比例している。 スタンフォード大、ハーバード大、カリフォルニア大などがそれ。 ノーベル賞は学問的な価値だけに与えられるのではなく、どれだけ世に貢献したかによって選考される。 この重要なポイントが、日本の大学の「研究」という基本的なところで傍観されてきているのです。

そして、山本氏は、日本で消費されている家電などは、途上国から見ればまさに未来の製品。これを受け持っているのは多くの中小企業。 だからまだまだ可能性がある。 しかし、必要なのは国際競争力。 つまり、知財抜きにはあり得ない。 この知財戦略に、弁理士が本格的に協力して行ける環境づくりこそが、国家戦略でなければならない。
さらに、これからはサービスの時代であり、デザインの時代であると説く。
その内容を具体的に紹介したいが紙数が尽きた。 
この著書の第5章 「山本秀策  その哲学」 だけでよいから、ご一読をお勧めしたい。
posted by uno2013 at 07:19| Comment(0) | 書評(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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