2013年01月20日

70万通のメールと関わった若者24万人。8年間の実践からの「いじめ解決法」


水谷 修著 「夜回り先生  いじめを断つ」 (日本評論社 1400円+税)

夜回先生.JPG

「夜回り先生」の話はテレビで見たし、雑誌でもチラリと読んだことがある。
永年に亘って夜のパトロールを続け、盛り場などをうろついている小学生、中学生、高校生に声をかけ、いろいろ悩みを聞いたり、相談に乗ったりして、実地指導で青少年を補導している先生――という程度の認識しか持っていなかった。 
たしかに、夜回りはそれなりの効果があるらしいが、夜遊びに耽っている青少年を追いまわしても、どれほどの効果が期待出来るかという点で疑問を抱いていた。
しかし、この著を読んでみて、初めて《いじめ》の実態が分かっただけでなく、具体的な解決方法を著者は数多くの実践的裏付けで《明確》に提言している。
最近話題になっている大阪市立桜宮高校バスケット部の教師による体罰で生徒が自殺した事件は、明らかな犯罪行為。 そうした犯罪行為が学校と言う限られた場所で日常茶飯事に起きている事実を容認している文部省と教育委員会、校長や日教組などの閉鎖社会。 「学校は聖域」という縄張り意識にこそ問題がある、との筆者の指摘には納得させられる。

筆者は、2004年に「水谷青少年問題研究所」を設立している。
目的はリストカット (手首を切る自傷行為)、うつ病、いじめに苦しむ子どもたち、不登校、引きこもりで苦しんでいる子どもたちの相談にのるため。 あらゆるメディアにメールアドレスを公開して365日、24時間体制で相談に応じてきている。 電話による相談も多い。
昨年秋口までの8年間に寄せられたメール数は70万通、関わった子どもや若者の数は24万人を超えているという。 その相談で一番多い案件が「不登校」と「引きこもり」。 二番目が「いじめ」の相談。 しかし、不登校も引きこもりもその原因はいじめ。 したがって、ほとんどがいじめ対策と言ってよい。

文部科学省は、「いじめ」に対する定義を07年の安倍内閣の時に作成している。
「いじめとは、当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的攻撃を受けることにより、精神的な苦痛を感じているもの」。
この文章を読むと、素人の私は「ごもっとも…」と感じてしまう。
しかし、著者はこれほど意味不明な定義はないという。 
まずは、「心理的攻撃」。 これは具体的に何を指しているのか。 
シトカと呼ばれる無視、あるいは悪口、陰口を言うことか。 これだったら大人の社会でも常に見られる現象。人には誰も好き、嫌いがある。嫌いな人を無視することが「いじめ」なのだろうか。
また、「死ね」「学校へ来るな」「臭くてダサイからどこかへ行け」と目の前で罵ったり、ネットに実名を匿名で書き込むことが「いじめ」なのか?
また、「物理的攻撃」は、単なる「いじめ」なのだろうか?
殴ったり蹴ったりして怪我を負わせたり、カネを奪ったり、万引きを強要したり、あるいはどこかの高校の先生のように意識的に叩く物理的攻撃が「いじめ」なのだろうか?
著者は怪我を負わせたり、カネを奪ったり、叩いたりする物理的攻撃はもとより、「死ね」という心理的攻撃も、一般社会では「いじめ」ではなく、立派な犯罪として認知されている。 それなのに、その犯罪行為を単なる「いじめ」であるとして捉え、警視庁を関与させたくないという教育関係者の傲慢な縄張り根性。 ここにこそ「いじめ」問題の本質があると力説。

そして筆者は、《学校におけるいじめとは、意図的にある児童・生徒に対して、精神的な苦痛をあたえること》 だけがいじめで、それ以外は犯罪行為だと断言する。 
いじめをもっと具体的に表現すれば、次のようになる…。
ある生徒が、気に入らないからという理由でノート、カバン、上履きを隠したり、その生徒の展示作品や名札に落書きをすること。 さらには、最初から意識的にその生徒を精神的に追い込み、苦しめてやろうとの目的で無視したり、ひどいウワサ情報を他の生徒に流したりする行為のこと。
「いじめ」 とは、それ以上でもそれ以下でもなく、この範囲の行為。
教師は、このような事態が起きないように日々子供に接して指導を行う。 そして、一旦このような事態が起きたら仲裁に入るべし。 被害者にきちんと謝罪させ、親にも報告して、加害者の親から被害者の親に対してもきちんと謝罪してもらう。 健全な関係が再構築できるようにするには、これしかない。
筆者は具体的な事例として、こんな事例をあげている。

クラスの中に、元気が良くて生意気で、わがままな生徒がいた。 この生徒が体育の授業中に着替えの洋服が無くなる事件が何度となく起こり、彼はキレて「タダじゃおかないぞ」と吠えていた。
筆者は生徒指導部の先生と連携をとり、彼の回りを監視して、犯人を見つけた。 おとなしく何一つ問題の無い生徒が犯人だった。 事情を聞いたら、泣きながら次のように答えた。
「中学時代に、彼と同じように突っ張っていた奴にいじめられて不登校になった。 彼の態度を見ていたらいじめた奴を想い出し、憎くて、憎くて…。だから仕返しをした」と。
そこで、筆者は、「君のやったことは、君が受けたのと同じいじめです。先生も一緒に謝るから、謝ろうな」 と諭し、生徒の両親とともに彼の家まで行って、何度も頭を下げたら許してくれた。 それだけでなく、「君をいじめた奴の名前を言えよ、俺がシメてやるから」 といって、その後は仲良になった。
この程度までが学校のいじめであり、教師には現場で解決する責任があると筆者は言う。

そして、筆者が殴る蹴る、金品を要求するなどの物理的攻撃と同じように、「死ね」という心理的攻撃が犯罪行為であるという理由を、次のようにあげている。
憲法では、大人であれ子どもであれ、基本的な人権が保証されている。
法務省の人権侵害の規定の中に、虐待などとともにいじめも入っている。上にあげた学校のいじめ例以上の「死ね」などというのは、明らかに人権侵害。
ところが、日本の多くの教育専門家、学校関係者はこの肝心な点を理解していない。人権侵害問題が起きた時は、教育関係者は毅然とした態度で人権擁護局に通報し、第三者の立場から問題の背景や原因、家庭や学校のあり方を検証してもらい、解決に当たるとともに二度と同じ問題が起きないように対策を講じる。 この絶対条件が教育関係者から無視されている点に、いじめが根絶出来ない原因がある。

それと、子どものいじめの背景には、社会とか家庭がイライラしているストレスの影響が大。
バブルが弾けて以来、会社でも学校の教員室でも、「何やっているんだ」「遅い」「サボらず頑張れ」「自分で考えろ」などのきつい言葉がとび交っている。 その結果、親は子供に対して「こんな成績じゃしょうがない」「もっと頑張って勉強しろ」といつも文句ばかり。子供を叱ってばかで褒めたことがない。
本来は10回褒めて1回叱るべき。
それなのに、叱ってばかりいるから、息抜けの出来ない子どもが増えている。
大人はずるい。 
父親は家庭で妻や子供に当たり散し、外で酒を飲んでストレスを発散させればよい。
母親は、夫に500円の昼食代しか認めないのに、自分は主婦仲間と2000円のランチを食べ、夫の悪口を言って発散し、あとは子供に当たればストレスが解消出来る。
しかし、子どもたちは学校でも家庭でも追い詰められている。 好きで薬物に手を出す子どもはいない。好きで援助交際する女の子はいない。 酒でストレスを紛らわすわけにはゆかないから、追い詰められた子どもは次の行動をとる。

一番元気が良くて、しかも多数派のタイプは、ストレスというガス抜きのために仲間をいじめる。
二番目に元気の良い子どもは、「もういい。親は俺のことを分かってくれない。勉強についてゆくのも大変。先生は俺のことはどうでもいいと考えている」として昼の世界と別れ、私が網を張っている夜の世界へやってきて、大人に騙されて更に深い闇の世界へ沈んでゆく。
そして、心やさしい思いやりのある子は、双手に分かれる。
一つは心を閉ざしてしまう子どもたち。
心がやさしいからいじめに加われない。 そして、自分がいじめられてしまう。 親に迷惑をかけられないから夜の世界へも出てゆかない。 友達との交流も断って不登校になり、やがて自分の部屋からも出られなくなって引きこもりとなる。
もう一方の心がやさしくて弱い子は、「不登校になったら、引きこもりになったら親に迷惑がかかる」 と考える。 そして、「親に叱られたのも、友達から嫌われるのも、成績がよくないのもみんな私が悪いから」と一人で悩み、カミソリで自分を罰するリストカットなどの自傷行為に走る。

こうした条件の外に、子ども自身の問題点も多いのだが、それらは省略する。
そして、筆者が紹介しているいじめの実態と、それを如何にして解決したかと言う実例を紹介したい。
紹介したい実例は10以上に及ぶが、その中でもっとも分かりやすい例一つに絞って紹介。

筆者が夜間定時制高校で最初に担任したクラス。
最初のホームルームの時に、一人ずつ教壇に立たせて自己紹介をさせた。
「俺、タケシ。趣味は暴走。恋人募集中。よろしく」
「喧嘩は上等のノボル。いつでも相手になるぜぃ」
など威勢のいい言葉の数々。その一方で、「……」頭を下げることも、一言も発することが出来ない生徒もいた。 これらの生徒を4年間でどう指導していったら良いかと考えていた。 
その次に登壇した女生徒は、突然大きな声で叫んだ。
「みんな、お願いです。私の話を聞いて下さい」。 この大きな声に、横を向いて喋っていた生徒もびっくりして正面を見た。
「私は小学生の時、いじめられている一人の子をかばいました。そのせいで、今度は私がいじめの標的にされてしまいました。かばった子まで、私をいじめるようになって……。守ってくれなかった先生やいじめた人たちが信じられなくなり、みんなのことが怖くなり、不登校になりました。だから小学6年生から中学3年生まで、学校へは一度も行っていません。でも、家族からは学校へ行けと言われたことは一度もありません。タクシーの運転手をしている父と、家で裁縫をしている母は、いつもやさしく見守ってくれました。 私の趣味は掃除、料理、洗濯。 仕事が忙しい母に代わって私が家事をしていました。父のお弁当は、今でも私がつくっています。 でも、去年の秋から夜眠れなくなりました。自分の将来を考えた時、このままでいいのかなと不安になったからです。夜は両親に心配をかけないように、布団をかぶって泣いていました。もう一度勉強をやり直したい。そう考えてある先生に相談したら、この学校を薦められました。 私は、この高校でたくさん勉強して、いっぱい友達をつくって、必ず将来の足がかりを見つけます。 だから、お願いです。 みんな私の友達になってください。絶対に私をいじめないでください。私は弱い人間です。今こうして話をしていても、心臓はドキドキだし、足はブルブル震えています。 私はこの学校の生活に、自分の人生をかけています」
彼女はそう言い終えると、席に戻ってシクシク泣きはじめた。 クラスのみんなは一瞬あっけにとられていたが、彼女に向って拍手を送った。

一通りの自己紹介が終わった後で、著者はみんなに話をした。 この話は、後に生徒部長になってからは、始業式で全生徒に話したことでもあった…。
「みなさんに言っておきたいことがあります。 本来、日本は差別がない国のはず。しかし、差別はたくさんあります。 私たちの夜間高校に対しても、差別の意識を持っている人がたくさんいます。 定時制高校について何も知らないくせに、定時制高校へ通っているだけで、あいつはできないやつ、だめなやつだと決めつけている人もいます。 就職する時も、定時制高校は問題を持った生徒が多いとハナから相手にしてくれない企業もあります。 差別と言うのは、いじめです。 私たち定時制の人間は、残念ながらいじめられている人間でもあります。 そんな私たちの中に、いじめは絶対にあってはならない。 むしろ、社会からいじめを受けている仲間として、同志として互いに心を一つにしながら、差別やいじめをなくするように戦わなくてはならないのです。 この学校では、いじめは一切許しません。 絶対にあってはなりません !」

昨年暮れに紹介した「震える学校」から、一歩も二歩も前進した考えと断固とした行動力。 
こんなにも頼もしい先生が、日本に居たのですね !!



posted by uno2013 at 05:47| Comment(0) | 書評(その他) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。